『成功をつかむ24時間の使い方』(小宮山悟著、ぴあ)は、甲子園未経験で大学2浪しても44歳までプロで投げ続けた生き残り戦略

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『成功をつかむ24時間の使い方』(小宮山悟著、ぴあ)は、甲子園未経験で大学2浪しても44歳までプロで投げ続けた生き残り戦略

『成功をつかむ24時間の使い方』(小宮山悟著、ぴあ)は、甲子園未経験で大学2浪しても44歳までプロで投げ続けた生き残り戦略をまとめています。“怪物”でも“天才”でもなかったピッチャーが、なぜそこまでユニフォームを着続けることができたのでしょうか。

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小宮山悟さんとは誰だ

『成功をつかむ24時間の使い方』(ぴあ)という書籍を、新刊ではありませんが読みました。

元千葉ロッテマリーンズ投手、現在早稲田大学野球部監督の小宮山悟さんが、高校時代からプロ野球の現役時代までのユニフォーム生活を記した書籍です。

甲子園で投げたわけでもなく、大学も2浪して出遅れた投手が、44歳までプロの現役をつとめられた。

その生き残り戦略をまとめています。

小宮山悟さんは、芝浦工業大学柏高校から2浪して早稲田大学に入学。

ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)入団後は1年目からローテーション入りし、伊良部秀輝投手とともにチームを支えました。

2000年には横浜ベイスターズに移籍。2002年はボビー・バレンタイン監督率いるニューヨーク・メッツに入団。

大リーグも経験して38歳になった2003年。現役野球評論家として活動する一方で、トレーニングを続けながらまたユニフォームを着ることを望んで「浪人生活」を送りました。

そして、2004年にバレンタイン監督とともにマリーンズに復帰。2009年まで現役を続けました。

「弱者の戦法」で活路を見出す

『成功をつかむ24時間の使い方』の帯にはこう記載されています。

才能はみんなに
あるわけじゃないけど
夢と時間は
誰にも平等にある!

版元が紹介する書籍の内容は、次のとおりです。

20歳のときは、ただの浪人生。甲子園にも縁の無かった一投手が
“怪物”や“天才”が集まるプロ野球界で、どうやって生き残ってきたのか?
どんな目標を掲げ、どのようにそれをクリアしてきたのか?
44歳までマウンドに上がり続けたプロ野球界きっての頭脳派投手が、
「成功をつかむ24時間の使い方」を披露する。

本書の基本的な立場は、野村克也さんや落合博満さんの書籍と同じです。

ありあまる才能で何かをするというのではなく、自分の持っているものをいかに有効に使って目的に到達するか、という「弱者の戦法」です。

小宮山悟さんは、野球名門とはいいがたい芝浦工業大学柏高校出身。

その後、早稲田大学に進みますが、野球に明け暮れていた高校球児であったことから、簡単には合格できず2浪しています。

ロッテに入団したときにはもう24歳になっていました。

「遠回りしたことは否めません」と告白しています。

しかも、プロの中では、「同じチームでプレーした伊良部秀輝投手のように158キロの剛速球を投げることはできません。野茂英雄投手のフォークボールのような魔球を持っているわけでもありません」という並みの投手だった小宮山悟さん。

どうすれば自分がプロの世界で生き残っていけるのか、つまり、自分より才能のある人たちに負けずにやっていけるのかを考えざるを得ないことに気づきました。

「一生懸命」や「努力」は到達点ではない

その結論は、才能のあるなしに関係なく、誰もが平等にもっている24時間を他の才能ある人よりも有効に使うこと。

具体的に言えば、いつも目的達成や自己実現のためにどうすればいいかを考えることです。

まえがきから引用します。

野球の才能は乏しかったけれど、ボールを投げることが本当に好きで、「投げることについて考える才能」は、おそらく人より秀でていたと思っています。
 僕のストレートは140キロをやっと超える程度。これは日本プロ野球界ではアベレージ以下。バッターがびっくりするような変化球もない。
 だからこそ、平均以下のボールをどのように使えば、バッターを打ち取ることができるのかを考えました。四六時中、肌身離さずボールを持って、どうすれば変化球が曲がるのか、バッターはどんな球が打ちにくいのかを考え、ボールと向き合いました。(中略)
「毎日を一生懸命に」と、いろいろな人がよく言います。一生懸命やることはもちろん素晴らしい。でも、「この一生懸命って何なのだろう」と考えました。一生懸命やることが非日常であってはならないのです。一生懸命に打ち込むことが日常になれば、毎日血のにじむような努力をしても、それは日常なので、なんてことはない。たまに一生懸命やるから、「非日常の一生懸命」をしたことで、その時点で満足してしまうことになる。
「オレは今日、一生懸命やったんだ」という気持ちになったら、それが堕落の始まり。毎日毎日、とにかく必死になって一生懸命やること。その一生懸命が毎日続けば、一生懸命ではなくなる。「一生懸命を一生懸命だと感じないくらいにならないといけない」と、早稲田大学野球部時代の監督である恩師・石井連蔵さんに言われて、「そうか!と思ったものです。
 努力も同じです。「努力しているぞ」と思っている間はダメ。努力を努力だと感じなくなって、それが日常になって初めて一人前だと考えていました。

才能がないから努力した、という話はよく聞きます。

小宮山悟さんはそこからさらに踏み込みます。

そもそも、「一生懸命」や「努力」は普段からやっていれば当たり前になり、ことさらそんな表現はしなくなる、というのです。

いわれてみればその通りです。

本文は、つねに、自分のプレーについては「なぜ」と問い、関わった野球人については発言の真意を考える生活が述壊されています。

「なぜ」と建設的に問う心

「なぜ」といっても、問題はその内容です。

打たれたら、「あー、なぜあんなところにほうってしまったんだ!」という建設的でない後悔で思考停止するのではなく、ではどうすればよかったのか、という結論を必ず自分に課しています。

けだし、人生が挫折や失敗に満ちている私は、「自分はこんなに努力したのにどうしてダメなんだ!」と他者にも自分自身にも愚痴ることがありましたが、すでにそう言ってること自体が敗北の理由だったということに気づきました。

プロ生活は、5年間でどうするかという計画をイメージ。

その積み重ねの結果が44歳までプレーできたといいます。

そうした、「24時間考える」生活のおかげで、小宮山悟さんは「140キロをやっと超える程度」でありながらメジャーリーグにも挑戦。

帰国後は、浪人してロッテに復帰して44歳まで現役を続けました。

一般的には、いったんユニフォームを脱いだ人がまた現役復帰するというのは稀有なことです。

メジャー挑戦もさることながら、新陳代謝の激しいプロ球界で、30歳過ぎて野球浪人を経て再び現役のユニフォームを着たり、40歳過ぎても現役を続けたりといったことは“偉業”なのです。

書かれていることは現役時代の話ですが、一般人にとっても「気づき」をもたらすエッセンスが詰まっていると思い、今回ご紹介しました。

以上、『成功をつかむ24時間の使い方』(小宮山悟著、ぴあ)は、甲子園未経験で大学2浪しても44歳までプロで投げ続けた生き残り戦略、でした。

成功をつかむ24時間の使い方 - 小宮山 悟
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