改訂版 新説・明治維新 西悦夫講演録(ダイレクト出版)をご紹介します。伝統的な明治維新像に新しい視点からの考察を加えています。タイトル通り、西悦夫さんによる明治維新に関する講演録を改訂したもので、平易な言葉で複雑な歴史の内容を解説しています。(以下文中敬称略)
ネット広告で、最近よく出てきませんか。
西悦夫講演録。
西鋭夫(にし としお、1941年12月13日 – )は、大阪出身で、アメリカ在住の国際政治学者、教育学者、歴史研究者です。
関西学院大学文学部卒業後に渡米し、ワシントン大学大学院で修士号取得。
J・ウォルター・トンプソンに勤務し、ワシントン大学研究助手・バテル記念研究所(英語版)専任研究員などを務めながら博士号(国際政治・教育学博士)を取得したそうです。
スタンフォード大学フーヴァー研究所で研究を続け、日本大学大学院総合科学研究科教授や、同大学国際関係学部教授などを歴任しています。
現在は麗澤大学モラロジー研究所教授を兼任しています。
御年83歳ですが、動き回りながら話す講演が、ネットで紹介されています。
それで、どういう内容かというと、要するに明治維新は、倒幕の勇士たちによって自覚的になされたのではなく、イギリスの思惑で資金援助もあって行われた。
その結果、長い歴史の日本の良さが壊されていった、ということです。
今は、アメリカの属国といわれる日本ですが、そもそも明治の「近代化」自体がイギリスの指図であり、それは現在も見ることができる。
鉄道の英語はイギリス英語……だそうです。私は英語まるでだめだから例を示せませんが。
ネット広告で言ってますよね。
「坂本龍馬が、海援隊を作ったり、各地を動き回ったりしたお金は何処から出てるの?」と。
本書は、その講演の内容を確認できます。
「教育の機会均等」は本当に良かったのか
まず、目次をご紹介します。これでだいたい概略がつかめると思います。
第1章 「日・米」比較教育考
○ なぜ日本の大学は世界でトップレベルになれないのか
○ 日本人ノーベル受賞者を育てているのはアメリカ
○ 日本はどこから狂ってきたか
第2章 大英帝国の繁栄と欲望
○ 神格化された「明治維新」
○ 太陽が沈まない国・大英帝国
○ 清国からの紅茶輸入が大英帝国を赤字へ
○ アヘンの製造工程
○ 中国侵略に利用されたアヘン
○ 暗躍するユダヤ商人
○ アヘン戦争勃発
○ 巨大銀行設立の「舞台裏」
○ 世界覇権を狙う英国の方程式
○ アメリカの参入
○ アヘンが歴史を書き換えた
第3章 明治維新に隠された「謎」
○ アメリカ黒船来航
○ お金のあとを追いかけろ
○ グラヴァー邸の「隠し部屋」
○ 薩長同盟とお金の流れ
○ 脱藩藩士を支援する土佐藩
○ 高杉晋作と中国の惨状
○ 英国の魔の手
○ 「江戸無血開城」は誰のシナリオか
第4章 日本文明の「魂」
○ 憲法解釈の迷走
○ 「頭がいい」≠「お金持ち」
○ リーダーがいない!
● 学校教育の「異常」
○ 教育に金を使わない国
○ なぜ日本で英語が氾濫する
○ 明治維新とは何だったのか?
○ 言語植民地・インドの悲劇
○ 日本文化の言霊
明治以降、日本は欧米によって支配されてしまったということです。
たとえば、日本のノーベル賞受賞者を見ると、川端康成と佐藤栄作以外の科学者たちは、アメリカで研究しているか、アメリカに帰化してしまっている。
にもかかわらず、日本のマスコミは、そんなときだけ「日本人受賞者」としてカウントする。
実際には、生粋の日本育ちではノーベル賞は受賞していない。
なんとなれば、優秀な日本人が、そのポテンシャルを発揮できる教育を受けていない、といいます。
たとえば、目次にある「学校教育の「異常」」というのは、戦後、アメリカの意向で「教育の民主化(機会均等)」で、飛び級をやめたことをさします。
〇〇がない日本の学校教育は異常?? pic.twitter.com/a2x3NgOVmg
— 西鋭夫(PRIDE and HISTORY) (@dp_hooverreport) October 18, 2024
飛び級というのは、優秀な生徒は、学年を飛び越して進学する制度です。
それが、戦後、アメリカの肝いりによる「民主化」で、頭が良い生徒も悪い生徒も、みんながクラス単位で同じ学園生活を送ろうという「教育の機会均等」という考え方になりました。
制度上は、飛び級は現在も可能ということになっています。ただし、その実施は非常に限られており、もはや飛び級は「ない」といって等しいと思います。
そして、授業はクラス全員が同じ時間割の学年制。
カリキュラムは、「できる子」に合わせているわけではないので、「できる子」は同じことを繰り返す「時間の無駄」を強いられる。
現実問題として、偏差値70以上と、40以下の生徒が、同じ授業を受けて、みんながわかるようにする「学年制」には、「できる子」が育たないという話です。
もちろん、暗記主義という教育の「質」にも問題があります。
日本では、1980年代に「教育改革」があって、左翼側は、「教育の機会均等」を守れとスローガンを掲げました。
具体的には、「飛び級」「教育の複線化(普通科と職業科以外の高校を作る)」「単位制高校」に反対しました。
私も、当時は、それが正しいと思い込もうとしていました。
でも、今は、考えが違います。
障害児、不登校児、芸能やスポーツなどの活動している子どもたち。
この人たちは、「機会均等」ではだめなんです。なぜなら「普通の生徒」と一緒にはやっていけないからです。
つまり、「民主的」な「機会均等」は、皮肉にもその生徒たちには「不均等」になっていたのです。
私の子どもは中途障害者ですが、単位制高校だからこそ、高校を3年で卒業できました。
学年制だったら、高校進学は諦めていたところでした。
最近の調査によると、日本の学力は一部の分野で低下していると言われています。例えば、国際的な学力テストであるPISA(Programme for International Student Assessment)の結果では、数学や読解力、科学の分野で日本人の成績が下がっていると報告されています。
保守的な立場の人は、SDGsや夫婦別姓など、共産主義が日本の文化を壊そうとしていると騒いでいますが、少なくともアメリカやイギリスは共産主義国ではありませんから、正しい指摘ではないと思います。
共産主義のせいにしないで、この100年余の欧米化そのものを根本的に考え直さなければならないという話です。
エリート教育か、均等教育か
「できる子もそうでない子も、みんな均等に同じクラスで学園生活」か。
「できる子はエリートの育成を。できない子はそれなりに」か。
これはもう、長年の教育的課題なのです。
私は、義務教育は「均等」で良いと思います。
ただ、高校以上は、学力や本人の希望などで、多様な選択肢があってもよいと思っています。
みなさんは、どうお考えですか。
本書は、とにかく今の日本、何かが間違っているのではないか、という「気付き」のきっかけになると思います。
コメント