最澄など、まんがでわかる偉人伝 日本を動かした312人(よだひでき著、ブティック社)は歴史に名を残す312人の功績を漫画化

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まんがでわかる偉人伝 日本を動かした312人(よだひでき著、ブティック社)は、タイトル通り歴史に名を残す312人の功績を漫画化

まんがでわかる偉人伝 日本を動かした312人(よだひでき著、ブティック社)は、タイトル通り歴史に名を残す312人の功績を漫画化しました。この記事では、その中で、比叡山に延暦寺を建立した天台宗の開祖である、伝教大師こと最澄の話をご紹介します。

まんがでわかる偉人伝 日本を動かした312人(よだひでき著、ブティック社)は、多岐にわたる人選でその生涯と功績を漫画化しています。

どのような人がとりあげられているかは後述しますが、その中の何人かは、すでに他の書籍でご紹介しているので、今回は最澄(さいちょう、767年~822年)をご紹介します、

最澄は、日本の天台宗の開祖であり、伝教大師(でんぎょうだいし)として広く知られています。

Copilotは、その人生と功績について、こうまとめます。

生涯

幼少期と出家
最澄は近江国(現在の滋賀県)で生まれ、幼名を広野(ひろの)といいました。12歳で近江国分寺の行表(ぎょうひょう)に弟子入りし、14歳で得度を受け「最澄」と名乗るようになりました。
比叡山への入山
19歳の時に東大寺で具足戒を受けた後、比叡山に籠り、一乗止観院(いちじょうしかんいん)を創建しました。これが後に比叡山延暦寺となります。
唐への留学
38歳の時、還学生(短期留学生)として唐に渡り、天台山で天台教学を学び、大乗仏教の戒律・菩薩戒を受けました。また、越州龍興寺では密教を学びました。
帰国と天台宗の開宗
805年に帰国し、日本天台宗を開宗しました。翌年には天台宗が朝廷によって公認されました。

功績

天台宗の確立
最澄は日本における天台宗の基礎を築きました。彼の教えは「一乗思想」と呼ばれ、すべての人が成仏できるという考え方を強調しました。
大乗戒壇の設立
最澄は、日本に大乗戒壇を設けるために尽力しました。彼は『山家学生式』や『顕戒論』を著し、朝廷への働きかけを行いましたが、彼の存命中には実現しませんでした。しかし、彼の死後7日後に戒壇設立の勅許が出されました。
旧仏教勢力との論争
最澄は旧仏教勢力(南都六宗)とたびたび論争を行いました。特に法相宗の徳一との「三一権実論争」は有名で、最澄はすべての人が成仏できると主張しました2。

わかりにくい「仏教用語」もあるかもしれませんが、本作から見ていきます。

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一乗思想で天台宗を開宗


最澄は12歳で得度。19歳の時に東大寺で受戒します。

その頃は、以前ご紹介したように、聖徳太子が、漢訳経典に基づいた仏教を、朝鮮半島経由で「輸入」。

奈良には南都六宗と言って、平城京を中心に栄えた6つの仏教学派がありました。

それぞれの宗派は独自の教義や経典を持ち、仏教の学問的研究を重視していました。

最澄は、それらに与せず比叡山にこもり12年間修行し、天台宗こそ自分が求めていた教えだ、と考えます。

たとえば、南都六宗の中の法相宗は、『般若経』に基づいた「三乗思想」を重視していました。

三通りの異なる修行の道があるが、そこには成仏の道筋としての優劣があるという教えでした。

しかし、最澄は『法華経』に基づいた「一乗思想」といって、「誰もが等しく仏になれる」教えを重視しました。

最澄は、遣唐使船に乗って、中国から経典をたくさん持ち帰りました。

その頃、桓武天皇は病気だったのですが、帰国した最澄がお祈りをして快癒したといいます。

仏教は本来、商売繁盛や病気快癒や学問成就などを願うものではないので、恐らくは、たまたま治ったのだろうと私は思います。

ただこれにより、仏教に呪術的要素を加えた「密教」が俄然注目され、また桓武天皇も、南都六宗の政治的影響力を牽制するために、最澄には奈良に寺を建立することを勧めます。

しかし、最澄は、奈良ではなく、比叡山(滋賀県)に延暦寺を建立。

そこから、のちの「鎌倉仏教」といわれる日本の主流宗派の開祖たち、法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)、日蓮(日蓮宗)、良忍(融通念仏宗)、一遍(時宗)らが、比叡山での修行を通じて仏教の教えを深め、それぞれの宗派を立ち上げました。

ですから、比叡山延暦寺は「日本仏教の母山」とも称されます。

日本の仏教各派のおおもと


何度か書いていますが、本来お釈迦さまの仏教というのは、神様に何かをお願いしたり、神様に生き様を誓ったりする宗教ではなく、生きづらい人が、自分の気持と向き合って、その原因(煩悩)をとり除いて安寧な気持ちになり、成仏することを目的としています。

つまり、神様を前提とはせず、「自分の心」が対象の営みです。

ただし、煩悩を取り除くためには、世間を離れて出家して、修行をしなければならないとされました。

ですから、仕事があったり家族がいたりする人は出家できませんが、そういう人は、良いことをして、その「因果応報」で現世でいい思いをしましょう、という教えなのです。

しかし、そうなると、在家信者たちは物足りません。「現世利益」だけでは満足できず、自分たちも成仏したいと思うわけです。

そんな中で誕生したのが、お釈迦さまの仏教に、「在家信者の成仏の道」という新たな教えを加上した大乗仏教なのです。

そのような経緯ですから、「一切衆生悉有仏性」(すべての衆生に仏性がある)という教えを説いた天台宗は、大乗仏教一辺倒である日本の仏教各派のおおもとの宗派とも言えるわけです。

天台宗のお寺は日本各地に広がっていますが、有名なところといえば……。

1. 比叡山延暦寺(滋賀県大津市): 天台宗の総本山であり、伝教大師最澄が開いた寺院です。比叡山全体が寺域となっており、多くの堂塔が点在しています1。
2. 三千院(京都市左京区大原): 平安時代に創建され、庭園や仏像が美しいことで知られています1。
3. 青蓮院(京都市東山区): 平安時代末期に創建され、青不動明王像が有名です1。
4. 曼殊院(京都市左京区一乗寺): 伝教大師最澄が創建し、江戸時代初期の書院建築が見どころです1。
5. 毘沙門堂(京都市山科区): 比叡山延暦寺の別院として創建され、後に独立した寺院です1。

これらの寺院は歴史的にも文化的にも重要な場所で、多くの観光客や信者が訪れます。

これからの寺院にいかれたことはありますか。

以上、最澄など、まんがでわかる偉人伝 日本を動かした312人(よだひでき著、ブティック社)は歴史に名を残す312人の功績を漫画化、でした。

品 まんがでわかる偉人伝 日本を動かした312人
品 まんがでわかる偉人伝 日本を動かした312人

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