猛き黄金の国高橋是清(本宮ひろ志著、サード・ライン)は、日銀総裁、総理大臣、6度の大蔵大臣に就任した「日本のケインズ」の生涯を漫画化しています。絵師の庶子から高橋家に養子に迎えられ、仙台藩重臣の指名で留学などを経験しています。
高橋是清(1854年9月19日〈嘉永7年閏7月27日〉~1936年2月26日)は、明治から昭和にかけての日銀総裁、政治家です。
政治家としては、立憲政友会第4代総裁、第20代内閣総理大臣、大蔵大臣などをつとめました。
1931年に大蔵大臣に就任した高橋是清は、濱口内閣の緊縮財政で疲弊しきったデフレの日本経済に対して、財政出動を行いました。
日本で初めて赤字国債を発行し、財源を確保したのです。
金本位制を廃止して通貨発行のタガをはずし、公共事業や軍事費に多額の資金を投入し、経済を活性化させることで昭和恐慌からの脱出を図りました。
余談ですが、今、この政策を言っているのがれいわ新選組で、逆に消費税減税を言わなくなり緊縮財政を黙認しているのが立憲民主党です。
立憲民主党がなぜ消費税をいわなくなったかというと、政権をとったときに、財務省に睨まれないようにするためです。
それだけでなく、立憲民主党は、そんなれいわが目障りになり、愛知15区の元職に刺客をぶつけると発表しています。何をやってるんだかね。
今から財務省の顔色伺いに余念がない、そんな政党に政権交代しても、国民生活はちっとも良くならないと私は思ってるんですけどね。自民党はかなりアレですが、立憲民主党もタイガイなんですよ。日本はいったいどうなるのか……
それはともかくとして、高橋是清の政策により、日本は1933年頃に世界に先駆けて恐慌から脱出することができました。これは特筆すべきことです。
高橋是清の国内経済を振興した積極財政は、ケインズ政策の先駆けともいわれ、それが「日本のケインズ」といわれる所以です。
本作は、その生涯を漫画化しています。
先日まで、Kindle Unlimitedの読み放題リストに入っていましたが、残念ながら今は外れてしまいました。つまり有料になってしまいました。
和菓子屋の養子から日本のケインズへ
板谷俊彦『国家の命運は金融にあり 高橋是清の生涯』 #読了
今までほとんど知らなかった是清の生涯を幾らか知ることができた。破天荒でスケールの大きな人柄は類を見ない。
国家の明暗が金融政策の善し悪しによって決まるということがよくわかった
この30年の無策ぶりが残念だ
是清カムバック! pic.twitter.com/XUd3luakwt— しまちゃん (@JeffB_kay) July 27, 2024
高橋是清の生まれは、別の氏名でした。
幕府御用絵師・川村庄右衛門と、待女北原きんの間の庶子・和喜次として生まれました。
つまり、もともとは川村和喜次といいました。
縁あって仙台藩士(明治学院HPより。足軽の説もあり)の高橋是忠一家に預けられ、いったんは和菓子屋に養子に行くことになっていましたが、養祖母の「きよこ」が反対。
「2年も育ててきたのに、町人へやるのは可愛そうだ。うちで正式に引き取ろう」
その鶴の一声で、高橋寛治是忠の養子になり、「高橋是清」の人生が始まります。
ちなもに、養父にあたる是忠も、きよこの鶴の一声による他家からの養子です。
その後、仙台藩重臣の大童信太夫(おおわら しんだゆう)が、有望な若者を選んで語学留学をさせますが、高橋是清は見どころがあると思われ、その中のひとりに選ばれます。
一般論として、重臣が一介の足軽の子弟をそんな大役に抜擢するのか疑問ですが、やはり中下級武士に礼儀作法教示など是清の世話役を命じているので、大童信太夫は、リベラルな人だったのかもしれません。
是清は、なんと現在なら小学生にあたる11歳で、ヘボン塾(明治学院大学の前身)に入学しています。
13歳で渡米し、いろいろ苦労しましたが、徳川幕府が倒れたときに帰国。
その後もいろいろ紆余曲折あり、51歳で日銀総裁に。
60歳を過ぎて政治の世界に入ったにもかかわらず、総理大臣にまで上り詰めます。
今なら、とくにびっくりする話ではないかもしれませんが、当時は平均寿命が44歳の頃です。
今でいうなら、90歳で政界入りするようなものです。
しかも、そこがゴールではないのです。
高橋是清の真骨頂は、いったん総理大臣として失敗しながら、その後、大蔵大臣に6度も返り咲いて、後世に語り継がれる実績を残したことです。
以前、宮澤喜一元総理が、総理大臣を辞任して5年後に、当時の小渕恵三総理に大蔵大臣を要請されて就任したときに、「平成の高橋是清」といわれました。
麻生太郎さんも、安倍政権下で同じことを言っていましたが、残念ながら、麻生太郎さんは「平成の高橋是清」になることは自ら放棄。財務大臣時代は、財務省のプライマリーバランス論に屈服しました。
高橋是清の生き様について
以前も書きましたが、私が高橋是清の人生を振り返って気がついた点を枚挙します。
1.幸運の積み重ね
絵師の“お手つき”で生まれたのに、武家に預かってもらい、さらに和菓子屋から養子の話が来る。それでも武家の養子に入り、武士の一員になると今度は重臣に目をかけられて、幕府の期待を担って渡米までさせてもらう。2.前例がなければ自分で前例になる
当時の平均寿命を大きく過ぎてから新しい世界に飛び込み、さらに頂点を極める。
3.失敗しても次のチャンスをものにする
総理大臣で失敗しても大蔵大臣でリベンジする。
「3」については、留学時代や帰国したからもいろいろな紆余曲折がありました。
転んでもまた起き上がる。
高橋是清は「だるまさん」といわれましたが、それはルックスだけでなく、生き様がまさにだるまのようであったことから来ているのだと思います。
私は、以前は経済については全くわからず、高橋是清という人も、歴史上の偉人の一人でしかありませんでした。
しかし、数年前、思うところあって家系図作りを始め先祖を調べたところ、私の父方の曾祖父の叔父が、上掲の「お世話役」であることがわかりました。
また、おそらくはきよこさんのはからいだと思いますが、その配偶者も高橋家の人であり、以来、私の心の中では、高橋是清がマイブームになってしまいました。
みなさんも、ぜひご一読をおすすめしたい電子書籍です。
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