田中久重など収載した『1日1ページで身につく 教養として知っておきたい 世の中を変えた偉人365』(和田孫博、SBクリエイティブ)をご紹介します。タイトル通り、毎ページに1年分の日付をうち、各ページに1人ずつ偉人の人生や功績をまとめた中身の濃い書籍です。(文中敬称略)
本日ご紹介する『1日1ページで身につく イラストでわかる 科学の教養365』。
以前、竹鶴政孝、早川徳次、蔦屋重三郎などなどをご紹介しました。
今回は、田中久重(たなか ひさしげ、寛政11年9月18日(1799年10月16日) – 明治14年(1881年)11月7日)にフォーカスします。
江戸時代後期から明治にかけての発明家で、「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれました。
芝浦製作所(後の東芝の重電部門)の創業者でもあります。
弓曳童子や万年時計等のカラクリで有名な「からくり儀右衛門」としても知られています。
明治6年、工部省の求めに応じて久留米から上京し、モールス信号機などを製作しました。
明治8年には、銀座に田中商店(後の田中製造所)を創業して、電話機や報時器などの電信器機を製作しました。
電気機器メーカー東芝の歴史は、田中久重が銀座に開いたこの工場兼店舗から始まりました。
「からくり人形」から「東芝」へ
田中久重は、筑後国久留米(現・福岡県久留米市)の鼈甲細工師・田中弥右衛門の長男として生まれました。
幼名は儀右衛門。
幼少期から機械に強い興味を持ち、細かい機械装置を作る才能を見せていました。
16歳の時、彼はからくり人形を作り始め、この分野で頭角を現します。特に有名なのは「茶運び人形」で、茶碗を載せてお客様のもとへ運ぶという精巧な動作を再現したからくり人形です。
田中久重の若い頃の最も有名な功績は、「からくり人形」による技術の革新です。
彼は、複雑な機構を持つからくり人形を数多く開発し、その技術は当時としては驚異的なものでした。
茶運び人形のほかにも、弓を引く人形や書を描く人形など、さまざまな機械仕掛けを作り出しました。これにより「からくり儀右衛門」の名で親しまれるようになります。
彼のからくり人形は、単なる遊戯装置にとどまらず、機械工学や物理学の基礎が反映された高度な技術を持っていました。これらの技術は、後に西洋の機械工学と結びつき、日本の近代化に重要な影響を与えます。
1840年代、田中久重は京都や江戸に活動の場を広げ、時計や望遠鏡、機械式の文房具など、からくり技術を応用した実用品を手掛けるようになりました。
これらの製品は、当時の日本の富裕層や知識人たちに非常に高く評価されました。
幕末から明治維新期にかけて、田中久重はさらに技術者としての道を進みました。
1873年、彼は「田中製作所」を設立しました。これは後に「芝浦製作所」、そして今日の「東芝」となる企業の前身です。田中製作所は、電気技術や機械工業を中心に、日本の産業界に大きな影響を与えました。
彼は日本で初めて商業用の電信機や電灯を製造するなど、近代化に必要な技術を推進しました。
また、日本国内における蒸気機関の開発や改良にも寄与し、その技術は交通や産業の発展に大きく貢献しました。
東芝未来科学館
JR川崎駅西口のラゾーナビルには、東芝の歴史的製品展示や、未来の技術や環境に関するテーマを取り上げた博物館、東芝未来科学館があります。
東芝科学館デモビデオより
茶運び人形。からくり人形です。
創業期の展示物。
私も、1980年代のダイナブックなどが見たくて、行ったことがありますが、そのときは、「どうして、電機メーカーで、からくり人形が展示されているんだろう」と不思議でした。
田中久重が作ったものだからなんですね。
田中久重の発明は、機械技術だけにとどまらず、さまざまな分野に及びます。
ChatGTPに、主な発明品を尋ねました。
茶運び人形……動作が非常に精巧で、当時の技術水準を超える機構を持つ。
蒸気機関……日本での初期の蒸気機関の導入に尽力。
電信機と電灯……商業用電信機を製作し、日本で初めて電灯を導入した人物。
時計と計測機器……西洋の技術を取り入れつつ、日本の時計技術を進化させた。
田中久重は、江戸時代のからくり人形から始まり、明治時代には日本の近代工業化を支えた技術者として、機械工学や電気工学の分野で大きな業績を残しました。
彼の発明は、当時の技術水準を超えるものであり、その影響は現代にも続いています。
いろいろありましたが、東芝はそのような歴史をもったメーカーということです。
東芝製品、何か使われていますか。
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