羅生門(原作/芥川龍之介、著/バラエティ・アートワークス、Teamバンミカス)は、羅生門を舞台に「人間のエゴイズム」を描いた傑作です。まんがで読破シリーズ第5作。その他「王朝もの」と呼ばれる偸盗、藪の中など、短編小説3作を収録しています。
『羅生門』は、原作が芥川龍之介、作画がバラエティ・アートワークスで、Teamバンミカスから上梓されています。
芥川龍之介さんが、東京帝国大学在学中の1915年(大正4年)に、雑誌「帝国文学」へ発表された作品です。
教科書にも掲載されたことがあります。
黒澤明監督が映画化しましたね。
京マチ子さん、女優然としていました。
書かれた舞台は平安時代。
なぜ20世紀になって、その時代を舞台とした作品を書いたのか。
平安時代の末期に作られた『今昔物語集』の中の、『羅城門登上層見死人盗人語』と『太刀帯陣売魚姫語』をアレンジして創られた翻案作品だからです。
翻案というのは、下敷きとして原作がある作品です。
本書のまんが『羅生門』は、イントロの部分を読者にわかりやすく膨らませています。
本書を中心に、時折原作の文を挟んでご紹介します。
本書は2022年12月8日現在、AmazonUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
「仕方ない」を正当化してくれた老婆に感謝!?
千年以上昔、天災や飢餓に苦しむ平安時代の京都(平安京)が舞台です。
平安京の正門・羅生門は、不安定な作りのため風に弱く、西暦816年、暴風によって倒壊しましたが、後に再建されました。
「これが羅生門か」
「まさに青丹よしじゃな」
貴族たちの雅な生活から、国風文化が生まれ、栄えました。
ところが、980年に羅生門が2度目の倒壊。
しかし、今度は再建はされず、それからは様々な災いが都を襲い、月日は流れました。
それはそうです。
再建されず荒れ果てたのをよい事にして、狐や盗人が棲むだけでなく、しまいには引取り手のない死人を羅生門に持ってきて、棄てて行くと云う習慣さえ出来てしまったのですから。
そこで、老婆がカラスと格闘しています。
「おどき、カラスども。この死人はわしの獲物じゃよ」
そして、物語は始まります。
ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
屋敷をリストラされ路頭に迷う下人です。
屋敷では、数人の使用人がこき使われていました。
旦那様は、すこぶる機嫌が悪いようです。
原因は、屋敷の財政が苦しくなったことにあるとか。
問題は、そこで使用人をリストラすることと、使用人の間で話題になりました。
「くそ、クビになったらどんなふうに暮らせというのだ。田舎には病気の母と、弟や妹たちだっているのに」
自分のクビが飛ぶかもしれないと、解雇を恐れる使用人たち。
頬のニキビをいじるくせのある、その下人だけは、「まだ誰がクビになるかわからないし、なったとしても命までとられるわけじゃないんだから」と、おっとり構えています。
「家族のいないお前は、呑気でいいよな。このご時世に、今更雇ってくれるところなんてあるもんか」
そんなある日、ある使用人がくだんの下人に、「これから旦那様の部屋を掃除するんだけど、手伝ってくれないか」と言います。
下人は「いいよ」と快諾し、旦那様の部屋に。
「ここにあるのは、旦那様の宝物ばかりだからな。傷一つでもつけると大変なことになるぞ」
そう言われて、プレッシャーを感じながら、ツボをそーっと持ち上げる下人。
ところが、持ち上げたところで、後ろからドーンと押されて、ツボを落として割ってしまいます。
振り返ってみると、いつのまにか他の使用人たちがみな集まり、「旦那様、大変ですぅ」と騒ぎでします。
どいつもこいつも、「してやったり」という表情。
そう、下人ははめられたのです。
当然、解雇されてしまいます。
行く宛もない下人は、羅生門の下で雨やみを待っていたわけです。
そもそも、下人は、雨がやんだとしても、格別どうしようと云う当てはありません。
この時点で下人は、罠にはめられたことから、手段を選ばないという事を肯定しながらも、「盗人ぬすびとになるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいました。
下人は、あまりにも寒いので、羅生門から楼の内に入ります。
すると、中から明かりが。
思わず腰の差し物に手が行き、身構える下人。
階段をそーっとのぼると、その上には、人の死体がゴロゴロしていました。
「噂には聞いていたが、なんて酷い」
そこで、下人は、はじめてその死骸の中に蹲うずくまっている人間を見ました。
檜皮色ひわだいろの着物を着た、背の低い、痩やせた、白髪頭しらがあたまの、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片きぎれを持って、その死骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。髪の毛の長い所を見ると、多分女の死骸であろう。
下人は、「六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時ざんじは呼吸いきをするのさえ忘れて」見ていました。
老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱しらみをとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。
髪の毛が抜けるとともに、下人の心からは少しずつ恐怖感も抜けていきました。
下人は、老婆に近寄り捕えると、老婆は「まるで弩いしゆみにでも弾はじかれたように」飛び上りました。
下人は、老婆を諌めます。
「己おれは検非違使けびいしの庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。だからお前に縄なわをかけて、どうしようと云うような事はない。ただ、今時分この門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすればいいのだ。」
老婆は言います。
「この髪を抜いてなあ、かつらにしようと思ったのじゃ」
「たったそれだけか。それだけのために、死人の髪を抜いたのか」
「そりゃあ、死人の髪を抜くなぞ悪いことかもしれぬ。じゃがな、ここにいる死人は、それくらいのことをされてもいい人間じゃぞよ」
たとえば、老婆がそのとき抜いていた女は、蛇を切って干したものを、干し魚だと偽って売っていたといいます。
生きていれば、まだ売り続けていただろうとも。
「だが、女も生活のためにしたこと。まぁ、仕方あるまい」
「仕方ないだと」
下人には、そのひと言が刺さりました。
自分が、「身寄りのないお前とは事情があるから仕方ない」と、罠にはめられたからです。
「わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
下人は、このロジックを聞いて、ある勇気が生まれて来ました。
それは、雨宿りしていたときの下人には欠けていた勇気です。
この門の上へ上って、この老婆を捕えた時も、また違う勇気です。
「仕方ない」を正当化する勇気です。
「では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」
下人は、すばやく老婆の着物を剥ぎとり、足にしがみつこうとする老婆を手荒く死骸の上へ蹴倒しました。
そして、急な梯子を夜の底へかけ下りました。
命までも奪わなかったのは、「勇気」を与えてくれた礼でしょうか。
下人の行方は、杳として知れません。
自分は悪くないと逃げ道まで作るエゴと脆弱さ
羅生門が描かれた平安時代は、飢饉や辻風(竜巻)などの天変地異が続き、都が衰微していた頃と言われています。
つまり、人々は困窮し、精神的にも疲弊していたわけです。
下人は本来、家族もいない孤独な人なのに鷹揚として、悪い噂に乗っかることをよしとしていませんでした。
しかし、所詮それも衣食住に恵まれた境遇で可能なことです。
飯食わなきゃ、道徳もへったくれもないですからね。
ひとたび状況が変わると、人間はどんな悪でもする。
しかも、自分の変心に理屈をつけて、自分は悪くないと逃げ道まで作るエゴと脆弱さ。
羅生門は、そんなエゴイズムを描いていねのでしょう。
では、この先どうなるのか。
著者は何も書いていませんが、奈良仏教に則るなら、因果応報で悲惨な最期を遂げたことになるでしょうね。
ただ、人間社会というのは、そして人の一生というのはそれほど単純ではなく、また当時は現在ほど寿命も長くないので、因果応報があったとしとても、現世では間に合わず、つまり天網恢恢疎にして漏らさず、とはならない可能性もあります。
さすれば、生き延びて金をため商人として成功するという展開も考えられます。
もっとも、たかが衣服を盗むのに勇気が必要なほどの「根は善人」ですから、ただ金儲けして終わり、という感じもしませんね。
また、誰かに啓発されて、心を入れ替える、なんてこともあるかもしれません。
要するに、人々は疲弊して、良くも悪くも生きる指針が確立できない時代なんだと思います。
そういう時代に、法律とか道徳とかいうのは無力である、人間はエゴイズムの生き物であるという性悪説を著者は述べているわけです。
短い作品なので、すぐに読み切れると思いますが、もしハードルが高そうだなと思ったら、本書の漫画から入ってはいかがでしょうか。
以上、羅生門(原作/芥川龍之介、著/バラエティ・アートワークス、Teamバンミカス)は、羅生門を舞台に「人間のエゴイズム」を描いた傑作、でした。
羅生門 (まんがで読破) – 芥川 龍之介, バラエティ・アートワークス
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