まんがでわかる偉人伝 日本を動かした312人(よだひでき著、ブティック社)は、タイトル通り歴史に名を残す312人の功績を漫画化しました。この記事では、その中で、平安時代に活躍した学者、詩人、政治家で知られている菅原道真の話をご紹介します。
まんがでわかる偉人伝 日本を動かした312人(よだひでき著、ブティック社)は、多岐にわたる人選でその生涯と功績を漫画化しています。
どのような人がとりあげられているかは後述しますが、その中の何人かは、すでに他の書籍でご紹介しているので、今回は菅原道真(すがわらのみちざね、845年8月1日~903年3月26日)をご紹介します、
菅原道真といえば、学問の神様、文化芸術の神様、厄除けの神様と仰がれて、太宰府天満宮の御祭神として有名です。
しっかり太宰府天満宮に行ってきました!#TRAVEL2U pic.twitter.com/x9i3TrKnFu
— サヴアカ (@naAlto154748) August 25, 2024
もちろん、菅原道真は実在した人間です。
日本の歴史には、人間が神様として祀られた例が何例かあります。
崇徳天皇、平将門、私の地元では、南北朝時代の武将・新田義貞の次男の新田義興(新田神社)も、シ後に神様として祀られています。
これらの人物は、非業の死を遂げた後、その怨霊を鎮めるために、神様として祀られるようになりました。
このような信仰を「御霊信仰」と呼びます。
菅原道真も、無実の罪で左遷され、失意のうちに亡くなった後、その怨霊を鎮めるために天満宮に祀られるようになりました。
他にも、偉大な業績を称えるために神様として祀られた歴史上の人物もいます。
すでにご紹介したことがある、豊臣秀吉や徳川家康などがその例です。
北野天満宮で学問の神様として祀る
天神の水鏡天満宮。ホテルの近所にあったので立ち寄ってみたら、菅原道真を祀っていて、天神の地名のもとにもなったスゴいところでした#新潟サポ福岡遠征 pic.twitter.com/TkX6cgt9Cj
— ぐっちい(ラ式の人) (@gucchie1) August 16, 2024
菅原道真は、平安時代に活躍した学者、詩人、そして政治家です。
本作に沿って、生涯と功績について見ていきます。
家系は代々学者の家柄で、幼少期から学問に秀でていました。
18歳で文章生(もんじょうしょう)となり、大学寮で漢学を学びました。
道真は宇多天皇に重用され、右大臣にまで昇進しました。
701年の大宝律令に基づいてできた、太政官という最高機関の一部であり、左大臣とともに朝廷の政治を司りました。
太政大臣、左大臣、右大臣の順に重要なポストなので、ナンバー3ですね。
左大臣の藤原時平は、天皇の義兄でそこまで偉くなったので、実力だけでのし上がってきた道真に嫉妬と脅威を感じていました。
そこで、手下のものを使って、醍醐天皇に、道真が悪口を言っていたとか出鱈目なことを告げ口して醍醐天皇を怒らせ、道真は何も悪いことをシていないのに大宰府に飛ばされました。
道真は、うらむことなく大宰府に赴き、歌を読んでいたそうですが、2年で亡くなりました。
道真が亡くなって6年後、時平は39歳で血を吐いて突然亡くなりました。
その14年後、後醍醐天皇と時平の妹の間にできた皇太子が突然シしました。
その7年後、清涼殿(今で言う皇居)は落雷で破壊され、朝廷要人の多くがシ傷者しました。
さらにその3ヶ月後、醍醐天皇が病シしました。
これらを道真の怨霊の仕業と恐れた朝廷は、後任の村上天皇により、天暦元年(947年)に北野天満宮において道真を学問の神様として祀ることにしました。天満宮は全国各地に建立されました。
道真は、多くの和歌や漢詩を残し、教育者としても多くの弟子を育て、社会に貢献したからです。
その後の一条天皇の時代には道真の神格化が更に進み、正暦4年(993年)6月28日には贈正一位左大臣、同年閏10月20日には太政大臣が贈られました。
神道や民間信仰がいう「祟り」を仏教が理論的に裏付け!?
北野神社は、東京の南端、多摩川の近くにある止め天神で有名な天満宮神社。悪いことを止めたいと祈願されますが、落馬止めは転じて「落ちない」と解され、受験生や選挙候補者などが絵馬を奉納。毎月25日の縁日には神社にある木馬に誰でもまたがることができます。 pic.twitter.com/4lf1plp4KS
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) September 2, 2024
本当に祟りだったのかどうか。
4つの災難が起こるのに、30年もかかってますよね。
30年も経てば、そういう不幸は誰でもポツポツと出てくるでしょう。
私もそういうところがありますが、ツラい不幸な人生だと、「なんで自分が」とか「なんでこんな時」というふうに、人間は原因追及や、意味付けをシたがるんです。
でも、神道や民間信仰がいう「祟り」は、神様の差配ということですから人間はどうしようもない。
そんなとき、仏教の「自業自得」とか「因果応報」という、抽象的ですが「合理的」な考え方によって、そこに説得力をもたせていると思います。
「あいつは悪いことをシたからこうなった」「供養することで、する側には功徳があり、される側も浮かばれる」
ということで、仏教自体に「祟り」という概念はありませんが、「祟り」の「合理的」な説明に、そのあり方は貢献していると思います。
でも実際には、「自業自得」や「因果応報」だけでは、人生の禍福は説明できませんけどね。
天満宮は全国にありますが、参拝にいかれたことはありますか。
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