『金狼の遺言ー完全版ー』(辰巳出版)は上田馬之助さんの自伝ですが、「いい人」といわれている人の深奥が覗ける興味深い書籍です。かつてのアントニオ猪木クーデター事件における「言い訳」などから、いい人⇒弱い人⇒怖い人という読後感を抱きました。
「いい人」は人格者なのか?
上田馬之助さんさん(本名:裕司(ひろし)、1940年6月20日~2011年12月21日)が著者ということになっている『金狼の遺言ー完全版ー』(辰巳出版)を読みました。
晩年、要介護がどうみても3以上だった上田馬之助さんが、サクサクと原稿を書けるはずもなく、上田馬之助さんが最も信頼を寄せていたプロレス記者、トシ倉森さんが口述筆記したそうです。
ここから先は、敬称略とします。
上田馬之助。覚えてらっしゃいますか。
日本人でありながら、金髪にして、タイガー・ジェット・シンと組んで暴れた頃は、ガムのCMにも出演していました。
トライデントシュガーレスガム CM 上田馬之助 美保純 80年代後半 https://t.co/XbCwmfzlvV @YouTubeより
— 畠中由宇・相互フォロー100% (@hata_follow) February 1, 2022
上田馬之助が、ファンの間でいわれていたことは、
- 上田馬之助は人格者である
- 上田馬之助は本当は強いが、華がないので中堅に甘んじ、金髪にしてからブレイクした
ということです。
「2」については、道場を見ていないので、正直なところわかりません。
ただ、本書『金狼の遺言ー完全版ー』を読むと、残念ながら少なくとも「1」に対しては、疑わしい点があります。
では、「人格者」という巷間の評価を完全否定できるかというと、それもまたできません。
上田馬之助が、人との付き合いを大事にするので、レスラーからも慕われ、愛想を振りまける人でもないのに、タニマチにも恵まれていたことは、これまでのレスラーの証言や書物などから明らかです。
つまり、「いい人」ではあるのです
それゆえ、私が上田馬之助に感じたのは、人格としてありがちな、「いい人」であるがゆえの「弱さ」です。
「弱い」人は、平時は「いい人」に見えても、いったん窮地に陥ると嘘や裏切りも含め自己正当化になりふり構わぬ「怖い人」になってしまう見本ではないかということです。
そのことを念頭においた上で、以下ご高覧ください。
ジャイアント馬場に対する憾みや憎しみの書
『金狼の遺言ー完全版ー』は、率直にいって、たんにジャイアント馬場に対する憾みや憎しみを綴るだけの書籍です。
それ自体、残念ですよね。
それだけでなく、そもそも「憾みや憎しみ」自体が、第三者的に見てちっともうなずけないのです。
本書から具体的に指摘します。
全日本プロレス合流時の「冷遇」
ジャイアント馬場は、1972年に日本プロレスを退団して全日本プロレスを設立。
それまで所属していた日本プロレスは翌年4月には崩壊し、上田馬之助ら日本プロレスの残党は、全日本プロレスに合流します。
しかし、ジャイアント馬場が合流組を冷遇したと、上田馬之助は恨み節を書いています。
その根拠の一つが、全日本プロレスと日本プロレスは対等合併のつもりだった、騙されたといっているのです。
これは、さすがにプロレス業界にいるわけではない私にも、とうてい理解し難い言い分でした。
日本プロレスは、ジャイアント馬場が離脱して以降、レスラーへの報酬は10万円ごとの分割。
放送していたテレビ局も離れ、お客さんも入らず興行を打てなくなり、上田馬之助は馬場猪木坂口征二などが抜けて、繰り上げでタイトル保持者になっていた虎の子のインターナショナルタッグ選手権も失って、すでに遠藤幸吉、吉村道明などの幹部も去っており、ボロボロになって崩壊したのです。
一方の全日本プロレスは、どうだったか。
日本テレビがバックに付き、手薄だった日本陣営も、サンダー杉山、ザ・デストロイヤー、ジャンボ鶴田、マティ鈴木など顔ぶれが揃い、毎シリーズ名のしれた外国人レスラーが来日しています。
ジャイアント馬場は、団体の金看板であるヘビー級王座の争奪リーグ戦を経てPWF世界ヘビー級王者(当時)となり、チャンピオンカーニバルという大きなツアーも決定しました。
いったい、どこに「対等」合併する道理があるのでしょう。
しかも、合流の内容は、戦力としてアテにはしていないが他団体にいかないようにと、全日本プロレスの親会社である日本テレビが、残留レスラーたちと3年契約を結びました。
どう考えてもその時点で、対等合併ではなく、崩壊した団体の路頭に迷ったレスラーたちを日本テレビが預かって、子会社の全日本プロレスのリングに上げただけの話です。
もちろん、彼らが上がるリングは従来からの全日本プロレス。
日本プロレスのものは何もありません。
後に、日本プロレスで使われていたタイトルやトロフィーが使われますが、それはまた別途全日本プロレスが長谷川淳三(芳の里社長)から購入したものです。
にもかかわらず、いまだに「対等合併だと思った」と書けるメンタリティは理解できません。
しかも、合流後の開幕戦では、いきなり上田馬之助のカードは組まれず、組まれても前座が多かったようです。
上田馬之助は、その「冷遇」をもって、元インタータッグ選手権者で同じ釜の飯を食った自分を冷遇するのは「常識以前の問題」などと憤慨していますが、それもまた理解し難い言い分です。
残留組は、合流まではライバル会社のレスラーであり、頼みもしないのに会社が潰れて押しかけてきたのです。
しかも、全日本プロレスは、やっと苦労して日本人勢を揃えたところなのに、今更来ても遅いよ、という話です。
何しろ、当時、全日本プロレスには10人の所属選手がいました。
合流シリーズには、7人の外国人レスラーの招聘も決まっていました。
当時は7~8試合で、1~2試合のタッグマッチが組まれていましたから、この17人で本来間に合うのです。
そこに、頼みもしないのに9人もやってくれば、誰かがあぶれるのは当然でしょう。
大木金太郎のように、そこそこ知名度があればともかく、当時の上田馬之助は原始人のようなダサイハーフショルダータイツで、プロとしての華がありませんでした。
経営者でもあり、マッチメーカーでもある立場なら、伸びしろもなく客ももっていないベテランに遠慮してもらうのは当たり前でしょう。
上田馬之助にもっと人気があれば、ジャイアント馬場は嫌でもカードを組んでいたはずです。
つまり、上田馬之助は憤慨するところではなく、プロとして自分の無力を恥じる話なのです。
クーデター事件の責任転嫁
本書のハイライトは、やはりアントニオ猪木クーデター事件の「新事実」とする証言です。
1971年、当時、ジャイアント馬場とのコンビで、BI砲といわれ、プロレス黄金時代をきわめていた一方の雄であるアントニオ猪木が日本プロレスを会社乗っ取りの廉で除名されました。
翌年には、ジャイアント馬場が日本プロレスを退団。
2人はそれぞれ自分の団体を作って袂を完全に分かちます。
アントニオ猪木の、当初の言い分はこうだったといいます。
「会社の経理にきっと不正がある、儲かっているのだから、汗と血を流しているレスラーがもっと金をもらってもいいはずだ。だから今の幹部をやめさせて、レスラーが潤う会社をつくろう」
アントニオ猪木は、上田馬之助を通じて、ジャイアント馬場に話に乗るように依頼したといいます。
最初は、ジャイアント馬場も賛成したものの、猪木の計画では、新社長は猪木の後援者であり、怪しい計画ではないかと感じ、巡業で移動中の新幹線で上田馬之助を問いただしたところ、猪木乗っ取りの「クーデター」であることを確認。
上田馬之助は馬場にすべてを打ち明けると、会社の幹部にも密告。
そこで、他のレスラーたちも「乗っ取り」に反発。
猪木を襲撃する話まででてしまい、猪木は仮病で入院。
新妻の倍賞美津子が、日本プロレスの事務所に行って、チャンピオンベルトの返還と欠場届を提出しました。←猪木自身、仮病だったことは認めています
シリーズ終了後に、アントニオ猪木は除名された、という経緯です。
事件で、アントニオ猪木を裏切って、計画を会社に密告したのが上田馬之助であるとの認識で、当時の関係者の見解はすべて一致しています。
ところが、本書によると、上田馬之助は、自分が密告した裏切り者になっているが、本当の密告者はジャイアント馬場である、と述べているのです。
本書では、「当時の社内の状況ではとてもそのことを言える状態ではなく、自分が罪を被らざるを得なかった」として、「証拠となるメモも残っている」と言い張っています。
しかし、ジャイアント馬場は首謀者ではなく、上田馬之助から計画を聞かされて驚いて降りたわけです。
アントニオ猪木の計画を知っていたのは、レスラーでは上田馬之助しかいなかったので、ジャイアント馬場を含めて、上田馬之助以外のレスラーの密告というのはありえないのです。
かりにジャイアント馬場が、上田馬之助から聞いてから会社に密告したとしても、そもそもその内容をジャイアント馬場に密告したのは上田馬之助ですから、上田馬之助がアントニオ猪木を裏切り、他のレスラーを騙していたことにかわりはないのです。
すでにジャイアント馬場も亡くなって「死人に口なし」で、事件から40年以上たって、真実を暴露しても今更誰も困らないのに、当時の関係者で、「実はそうだった」と、上田馬之助に同意する人は誰もいません。
それどころか、当時レスラーだった桜田一男は、上田馬之助が達筆な密告書をレスラー全員がいる前で芳の里淳三社長に手渡して読み上げたなど、むしろ上田馬之助の密告説を裏付ける新証言を行っています
そもそも、上田馬之助のいう「証拠となるメモ」とやらも、結局出てきていません。
しかも、桜田一男証言では、その密告書の中身でわかったこととして、「猪木さんと上田さんが会社を乗っ取ろうとしてたんだよ」と述べており、密告どころか、上田馬之助はアントニオ猪木の立派な共犯者だったというのです。
つまり、上田馬之助はジャイアント馬場を騙して、アントニオ猪木の計画に協力させようとしたわけです。
しかも、共犯者でありながら、ジャイアント馬場に移動中の新幹線で詰問されると、すぐに全部“うたって”しまい、自分の立場が悪くなったので、今度はアントニオ猪木を裏切って、自分は日本プロレス側に寝返った(達筆の密告書提出)とすると辻褄が合います。
それでは、アントニオ猪木からも、ジャイアント馬場からも、信用されるわけないでしょう。
にもかかわらず、どうして、“人格者”が、晩節を汚すような書籍を遺したのか、大変残念に思います。
「弱い人」は「怖い人」
マニアでも知らない、昔のプロレスのゴタゴタを長々書いたのは、こうした書き方から、上田馬之助の人間性を論じたかったのです。
といっても、7回忌も過ぎている仏さんを個人攻撃することが目的ではなくて、人間一般の話に還元したいと思います。
思うに、上田馬之助がもし本当に「悪い人」だったら、ジャイアント馬場に詰問されても、目的を達成するまでは、騙し続けていたでしょう。
そこで、ジャイアント馬場や会社にばらしてしまったというのは、上田馬之助は、善意でいうと「根はいい人」、客観的に見ると「気が弱い人」ではないかと思います。
でも、「弱い人」というのは、「悪」を貫けない一方で、真相が何であれ、いったん事を起こした以上、自分がすべてをかぶる、という「強さ」もありません。
だから、あとになってから、亡くなった人のせいにするようなことをしてしまうのです。
ジャイアント馬場が生きているうちならともかく、「口なし」になってから責任を押し付けるのは、真相がなんであれ、卑怯だと思います。←しかも自分がほのめかした「証拠のメモ」とやらもなし
つねづね私が思うのは、人間、「性善説」「性悪説」とありますが、「性弱説」という見方があってもいいのではないかということ。
それから、世間一般で言われる「いい人」というのは、往々にして、このような「弱さ」=「怖さ」を持っているのではないか、ということです。
ですから、私は、皮相的な「いい人」という評判の人、とくに気が優しいといわれている「いい人」は、申し訳ないのですが心の中では大変な警戒をします。
こいつは、何かあったら裏切る可能性があると。
もちろん、その人を心底は信用しません。
みなさんのまわりに、そういう「いい人」って、いませんか。
以上、『金狼の遺言ー完全版ー』(辰巳出版)は上田馬之助さんの自伝ですが、「いい人」といわれている人の深奥が覗ける興味深い書籍、でした。
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