『高橋是清 遺訓と回想: 私の生い立ちとチャンスのつかみ方 Kindle版』(高橋是清、大正昭和史研究会翻訳)は、回想を収録しています。絵師の庶子から武家に養子に迎えられ、留学、日銀総裁、60歳過ぎてからの政界入り、6度の大蔵大臣就任などを経験した激動の人生の回想録です。
高橋是清とはどんな人物か
高橋是清(1854年9月19日〈嘉永7年閏7月27日〉~1936年2月26日)は、明治から昭和にかけての日銀総裁、政治家です。
政治家としては、立憲政友会第4代総裁、第20代内閣総理大臣、6度に渡る大蔵大臣などをつとめました。
昭和恐慌から、日本経済を立ち直らせた名財政家といわれています。
生まれは、「高橋」ではありませんでした。
幕府御用絵師・川村庄右衛門と、待女北原きんの間の庶子・和喜次として生まれました。
つまり、もともとは川村和喜次といいました。
縁あって仙台藩士の高橋是忠一家に預けられ、いったんは和菓子屋に養子に行くことになっていましたが、祖母の「きよこ」が反対。
「2年も育ててきたのに、町人へやるのは可愛そうだ。うちで引き取ろう」
その鶴の一声で、高橋寛治是忠の養子になり、「高橋是清」の人生が始まります。
その後、仙台藩重臣の大童信太夫(おおわら しんだゆう)が、有望な若者を選んで語学留学をさせますが、高橋是清は見どころがあると思われたか、その中のひとりに選ばれます。
なんと、現在なら小学生にあたる11歳で、ヘボン塾(明治学院大学の前身)に入学しています。
そして、大童信太夫の指示により、その下にあった藩士、石川貞輔らの世話で、高橋是清は武士の礼儀作法など学びながら渡米します。
13歳で渡米し、いろいろ苦労しましたが、徳川幕府が倒れたときに帰国。
その後もいろいろ紆余曲折あり、51歳で日銀総裁に。
60歳を過ぎて政治の世界に入ったにもかかわらず、総理大臣にまで上り詰めます。
今なら、とくにびっくりする話ではないかもしれませんが、当時は平均寿命が44歳の頃です。
今でいうなら、90歳で政界入りするようなものです。
が、高橋是清の真骨頂は、いったん総理大臣として失敗しながら、その後、大蔵大臣に返り咲いて後世に語り継がれる実績を残したことです。
以前、宮澤喜一元総理が、総理大臣を辞任して5年後に、当時の小渕恵三総理に大蔵大臣を要請されて就任したときに、「平成の高橋是清」といわれました。
高橋是清の後世に語り継がれる実績とは
では、「後世に語り継がれる実績」とはなにか。
1931年に大蔵大臣に就任した高橋是清は、濱口内閣の緊縮財政で疲弊しきったデフレの日本経済に対して、財政出動を行いました。
金本位制を廃止して通貨発行のタガをはずし、軍事予算増額や景気対策を目的とした公共事業など予算を増やしました。
これによって日本は、世界的な恐慌からいち早く復活を遂げたのです。
これはまさに、現在話題のMMT(現代貨幣論)を90年も前に実践していたことになります。
アンチMMTは、MMTは市中に金をばらまく考えだからインフレが止まらなくなるといいますが、このときの高橋是清は景気が回復したところで、ちゃんと引き締め(調整のための緊縮財政)も行っています。
しかし、それが軍部の反発を買い、高橋是清は二・二六事件の犠牲者になってしまったのです。
下野していた頃の、自由民主党・麻生太郎前総理総裁が、高橋是清の功績をこう述べています。
コロナ増税が話題ですが、それではここで野党時代の麻生太郎さんをご覧下さい。我が国は自国通貨建。新規国債をインフレターゲットを上限に増発すべき状況だのに、なぜ税金を財源とするのか。国の借金は国民の借金などではない。不況なのに消費税があること自体おかしい。
— れいわ新選組若者勝手連???? (@reiwawakamono) March 28, 2021
文字に起こしてみましょう。
「俺が使うんだから黙って刷れ」と。
こうやって、彼(高橋是清)は、「政府がドンドンお金を使う」という事をやって、今で言う「財政出動」というのですが、それをやって、道路を作ります、港を作ります。雇用を増やします。とバンバンやって、結果として、世界は、日本が一番早く、デフレ不況の脱却に成功したと。
褒めざるを得ない結果を出したわけです。
お答えしておきますが、この人は1円も増税していないからね。増税してないんだよ!
増税しないで、財政出動だけで賄った。
お金を借りているのは政府です。1000兆円借りてるじゃないですか。必ず、「貸してる人が1000兆」いないとおかしい。ちょうどそんなバランスになってるんだから。
誰が貸してるんですか?みなさんが貸してるんです。その政府の借金が多いからとんでもねえなんて言ってる人がいっぱいいるけど、何が問題なんです?
借金が多きゃ、そんな大変ですか?なにか間違えてんじゃないですか。皆さん方の家計簿、皆さん方の事業会計と国の国家会計は全く違うもんです。
何が違うか。一番違うところは、国はいよいよとなって金がなくなったらどうすりゃいいか。簡単です。
刷ればいい
簡単だろ?すべて円建て。したがって、いよいよとなったら、円で刷って返せばいい。
もちろん、そのときになれば、円が大量に発行されますから、そりゃデフレがインフレに変わりますよ。そりゃ間違いないだろう。しかし、今はデフレなんだから。
したがって、(国民が)お金を使ってくれるようになるには、そのためには今は、なんと言ってもここは財政出動です。
残念ながら、麻生太郎さんは「平成の高橋是清」になることを自ら放棄。
財務大臣時代は、財務省のプライマリーバランス論に屈服しました。
それはともかくとして、高橋是清は歴史的に、昭和恐慌から日本経済を立ち直らせた功績は現代も認められているのです。
高橋是清の生き様について
ということで、私が高橋是清の人生を振り返って気がついた点を枚挙します。
- 幸運の積み重ね
- 前例がなければ自分で前例になる
- 失敗しても次のチャンスをものにする
絵師の“お手つき”で生まれたのに、武家に預かってもらい、さらに和菓子屋から養子の話が来る。それでも武家の養子に入り、武士の一員になると今度は重臣に目をかけられて、幕府の期待を担って渡米までさせてもらう。
当時の平均寿命を大きく過ぎてから新しい世界に飛び込み、さらに頂点を極める。
総理大臣で失敗しても大蔵大臣でリベンジする。
「3」については、留学時代や帰国したからもいろいろな紆余曲折がありました。
転んでもまた起き上がる。
高橋是清は「だるまさん」といわれましたが、それはルックスだけでなく、生き様がまさにだるまのようであったことから来ているのだと思います。
本書は、そのような生き様の回顧集です。
高橋是清を知り積極財政派に
ここから先は余談になりますが、私も積極財政派です。
それは、上掲のような高橋是清の功績を知ってからのことです。
それまでは、経済については全くわからず、高橋是清という人も、歴史上の偉人の一人でしかありませんでした。
しかし、数年前、思うところあって家系図作りを始め先祖を調べたところ、私の父方の曾祖父の叔父が、上掲の石川貞輔であることがわかりました。
また、貞輔の配偶者が高橋家の人であり、さすれば高橋是清とは姻戚関係ということになります。
以来、私の心の中では、高橋是清がマイブームになってしまいました。
みなさんも、ぜひご一読をおすすめしたい電子書籍です。
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以上、『高橋是清 遺訓と回想: 私の生い立ちとチャンスのつかみ方 Kindle版』(高橋是清、大正昭和史研究会翻訳)は、回想を収録しています。でした。
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