『実力も運のうち 能力主義は正義か?』は、「親ガチャ」というキーワードが話題。境遇は運次第、本人には選べないという意味です。しかし、同じ境遇ならすべて同じ人生かと言うと必ずしもそうとは限らず、やはり人生は偶然と必然といえそうです。
能力や価値観だって「ほしのもと」由来
もとの記事は、Newポストセブンです。
『【書評】ハーバード白熱教室の教授が論じる“親ガチャ”の不公平』というタイトルです。
【書評】と書かれているように、『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(マイケル・サンデル・著 鬼澤忍・訳/早川書房)という書籍に対する鴻巣友季子さん(翻訳家)のブックレビューです。
親ガチャについて書かれています。
【書評】ハーバード白熱教室の教授が論じる“親ガチャ”の不公平|NEWSポストセブン https://t.co/71dKOatGIh #newspostseven
— 石川良直 (@I_yoshinao) May 25, 2021
親ガチャというのは、このような意味です。
子どもの立場から「親は自分では選べない」「どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ」と述べる表現。ソーシャルゲームにありがちなキャラクター入手方法(いわゆるガチャ)になぞらえた言い方。https://www.weblio.jp/content/%E8%A6%AA%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A3
どんな境遇に生まれつくかは運次第、本人に選べるものではないという意味です。
本書は、まさにそうした「不公平」について論じています。
「能力主義は正義か」というサブタイトルは、学歴や能力主義といった意味だそうです。
つまり、人生は「ほしのもと」の影響を否定できないのに、学歴や能力主義っていう建前は正しいのか、ということを述べている本です。
努力や能力や学歴による勝負というのは、一見公平に見えます。
だからといって、人生は「生まれ」ではなく「努力」だといえるでしょうか。
ちょっと考えてみましょう。
その人の本来持っている能力、地道に努力しようという気持ち、価値観、前提となる文化水準などは、結局親の遺伝子や経済力や環境や人脈に大きく依存しています。
つまり、努力も能力も、しょせんどういう「ほしのもと」かによって影響されているのです。
それなのに、なまじ「公平」の建前をうたった能力主義の現代は、負けると封建時代のような家柄や階級などのせいにできず、その人は自尊心をスポイルすることになります。
身分制がない民主主義の社会は素晴らしい。
でも、その一方で、努力して立身出世することを「成功」という時代は、競争に煽られる社会として私達を追い詰めているのではないか。
そういうことを、本書は述べています。
なるほどと思います。
要するに、著者は何が言いたいかと言うと、
自分は努力したから成功した
↓
成功してない人は努力が足りない
↓
だから、成功していない人がどんなに困っても自己責任である
という、新自由主義的な3段論法を否定しているのです。
努力努力って言うけどな、それはお前が努力できる「ほしのもと」だからできたんだ。世の中には、そうしたくてもできない、その価値観に至らない「ほしのもと」の人もいるんだ。だから、お前は「努力」をもってその人に比べて人として優れているとはいえない。自惚れるな
という話です。
我が国は、「親ガチャ」の視点が捨象された自己責任論に満ちており、生産性や学歴などを基準に、「劣っている」人間に悪意が向けられます。
たとえば、生活保護や障碍者に対する、目の色を変えた叩き。
まあこれは複合的な理由というか、別の「闇」もあるのでしょうが、いずれにしても、単純に自己責任論を振り回して正当化できる話ではない、ということです。
「努力と才能があれば何にでもなれる」は、本当に正義なのか? 闘争の敗者に屈辱を、勝者におごりを与え、分断を深めるだけではないのか? と著者は問うている、と評者はまとめています。
遺伝と環境で人生ほぼ決まるからな
Web掲示板のスレッドです。
【マイケル・サンデル教授】人生は「親ガチャ」。生まれも生来の資質も能力も、運の賜物である。★2 [ボラえもん★]
https://t.co/9kSYt7S1hU pic.twitter.com/htGJKG5cyR— 石川良直 (@I_yoshinao) May 25, 2021
主なコメントをご紹介します。
6ニューノーマルの名無しさん2021/05/25(火) 16:22:10.93ID:gEeJHP7M0
遺伝と環境で人生ほぼ決まるからな9ニューノーマルの名無しさん2021/05/25(火) 16:22:36.55ID:PLOS/mdU0>>15
やっぱ自己責任論ってクソだわ25ニューノーマルの名無しさん2021/05/25(火) 16:24:10.83ID:sq+yuAyL0
ガチャというと他の可能性があったかのような誤解が生じる。
その資質と環境に生まれる事は必然であり決定されていた。
その決定されていた人生も含めての自分なのだから。29ニューノーマルの名無しさん2021/05/25(火) 16:24:39.38ID:EygnRSVf0
砂漠のひとつまみの砂を持ち上げる努力信仰w33ニューノーマルの名無しさん2021/05/25(火) 16:24:55.19ID:ANa64FfQ0>>59
まあそうだろうな
古今東西の英雄と言われる人物もまず父親が優れてて土台を作った人が多い
例外は秀吉くらいか?50ニューノーマルの名無しさん2021/05/25(火) 16:27:09.98ID:+6FNzLKp0
まあ文句言っても始まらん
やれる範囲で楽しめ
といったことで、いわゆる努力信仰はなさそうですが、それは本書の著者とは違って、たんにできる努力もサボっている自己正当化もないとはいえないかもしれません(笑)
人生は偶然と必然
では、人生はすべてその「運」任せにして、何の努力もいらないのか。
もちろん、そんなことはないと思いますし、著者もそれは本意でないと思います。
私は持論として、人生は必然と偶然の重層的に織りなす長い系列だと思っています。
つまり、「ほしのもと」の中でも自分の考える人生設計での努力は無駄ではなく、それどころか努力によって、考えもしなかった新しい活路が見いだされるかもしれません。
たとえば、高橋是清と言う人は、幕府御用絵師・川村庄右衛門さんの息子として生まれました。
庄右衛門さんの「お手つき」で生まれた子どもで、和菓子店に養子の話もあったのですが、高橋家のゴッドマザー、きよこさんとの出会いがあって、きよこさんの鶴の一声で高橋家に養子縁組することとなり、武士になりました。
その後、仙台藩の重臣、大童信太夫に目をかけられ、その命を受けた石川貞輔との出会いで武士としてのアイデンティティを確立しました。
「出会い」は偶然ですが、そこでチャンスをモノにした高橋是清は、幾多の試練を乗り越えて、日銀総裁、総理大臣、大蔵大臣などをつとめたわけです。
もし、高橋きよこさんとの出会いがなければ、二本差しにはなれませんでしたから、そもそもその後の人生はなかったと思います。
大童信太夫との出会いがなければ、留学、そしてその後の人生もなかったでしょう。
ただし、世の中の、誰もが高橋是清のような幸運に恵まれるとは限らないし、高橋是清が他者から引き立てられたのは、高橋是清自身のパーソナリティに価値を感じたからこそ、そうした人々がもり立てたのです。
まさに、人生は必然と偶然です。
以上、『実力も運のうち 能力主義は正義か?』は「親ガチャ」というキーワードが話題。境遇は運次第、本人には選べないという意味です、でした。
実力も運のうち 能力主義は正義か? – マイケル サンデル, 鬼澤 忍
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