コント55号の萩本欽一とザ・ドリフターズの、「土曜夜8時戦争」と両者の不仲説真相について萩本欽一が述懐する記事が話題です。土曜日8時は各局とも強敵ぞろい。その中で『コント55号の世界は笑う』と『8時だョ!全員集合』の関係はどうだったのでしょうか。
「戦争」の当事者だから仲が悪いのだろうと思いきや……
もと記事は、NEWポストセブンです。
『コント55号vsドリフターズ 萩本欽一が明かす「土曜夜8時戦争」の真実』というタイトルです。
1960年代後半の「土曜夜8時戦争」について書かれています。
コント55号vsドリフターズ 萩本欽一が明かす「土曜夜8時戦争」の真実|NEWSポストセブン https://t.co/8ueBWazydO #newspostseven
— 石川良直 (@I_yoshinao) May 4, 2021
『コント55号の世界は笑う』(フジテレビ系1968~1970年)が、放送開始からわずか半年で視聴率30%超え。
それに対して、ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』(TBS系1969~1985年)が、この牙城に切り込んだのです。
で、ご存知のように、『8時だョ!全員集合』がその戦いに勝ち、コント55号は以後は個別の活動が中心に。
その後、1975年には『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジ系)がスタート。
第二次土8戦争も勃発しました。
「戦争」の当事者だから、仲が悪いのだろうと思いきや、そうではなかったという話です。
「もともとドリフとは仲良かったの。当時ぼくは大井競馬場で馬を持っていて、コーちゃん(仲本工事)とは大井でしょっちゅう一緒になってた。カトちゃん(加藤茶)交えて3人で麻雀したりね。でも、メディアがライバル構造を作るもんだから、お互い意識しちゃってさ。カトちゃん、コーちゃんとある時、『プライベートで一緒に歩くのはやめよう』って決めたんです。当時、二郎さんとよく『ドリフに敵うわけないよ』って話してたっけ。彼らの稽古はすごいもん。毎週毎週、何時間もさ。TBSの他の番組に行くたびにドリフの稽古を見ていたから、肌で感じてたんだ。僕らは稽古なんてしないし、瞬発力で舞台を駆け回ってただけで、ドリフの『計算された団体芸』とは力の入れようが違ったよね」(萩本欽一)
「相手のことを考える余裕すらなかったってのが正直なところ。毎週、いかりやさんの指示に従うだけで、もう必死ですよ。『全員集合』の合間には地方興行もあるし、ヘトヘト。いかりやさんは『他のことは考えるな。自分の番組のことだけ考えろ』ってよく言ってた。TBSからは数字のことも散々言われていたと思うけど、そういうやり取りは全部いかりやさんが引き受けてくれた。あのワンマン体制があったから、『全員集合』は成り立っていた」
「ステージで生演奏してるから、もともと生放送に向いてたんだ。間が空けば自分で繋げる。あとはリズム感。ドリフの強みは5人がリズムに合わせて一斉にずっこけられること。くしゃみひとつで転ぶのは音楽のリズムと同じ。ある種の“踊り”みたいなものでね。分かりやすくて、子供も大人も楽しめたんでしょう」
ということで、これがWeb掲示板スレッドです。
欽ちゃんと仲本工事って同い年、なんか意外だけど
コント55号vsドリフターズ 萩本欽一が明かす「土曜夜8時戦争」の真実 [幻の右★]
https://t.co/2b14z8xwvK pic.twitter.com/NPX0kKpnzT— 石川良直 (@I_yoshinao) May 4, 2021
主なコメントを引用します。
7名無しさん@恐縮です2021/05/04(火) 03:21:57.91ID:DSrqa9vU0
そして全員集合はひょうきん族にやられる12名無しさん@恐縮です2021/05/04(火) 03:25:55.75ID:7GNzRErO0
今にして思えば何で同じ時間にやるんだよ?って感じだw49名無しさん@恐縮です2021/05/04(火) 04:28:37.45ID:opAmbfiU0
コント55号としてネタやってたのって
ドリフみたいに舞台の公開収録でやってた「なんでそ~なるの」あたりが最後か?
車だん吉とかがまだ取り巻きとして一緒にやってた頃61名無しさん@恐縮です2021/05/04(火) 04:56:54.97ID:AY9zpJjq0
欽ちゃんと仲本工事って同い年(昭和16年生まれ)なんだね
なんか意外だけど95名無しさん@恐縮です2021/05/04(火) 06:18:37.02ID:5bzT7xmG0
いま改めて観ると全員集合は面白いよ。
当時はそう思わなかったけど
といったところです。
みなさんはいかがですか。
といっても、まあ50代以上の話題ですけどね。
萩本欽一、ザ・ドリフターズとの「戦争」の真相を語る
萩本欽一が、ザ・ドリフターズとの「戦争」の真相について語ったのは、今回が初めてではありません。
『アサヒ芸能』(2013.11.21特大号)の「人生ってめぐり愛だよね」という連載でも、ザ・ドリフターズについて触れています。
「ドリフ」(「ザ・ドリフターズ」)と「コント55号」はずっとライバルだと言われてきました。
確かに番組同士がぶつかり合っての視聴率合戦で、「土曜8時戦争」とマスコミで取り上げられました。
ただ、お互いにそれほど仕事にも追われてなかった68年頃までは、プライベートでもすごく仲がよかったんです。(中略)
「コント55号の世界は笑う」(フジテレビ系)がスタートしたのは68年。
69年に入ると、同じ時間帯で「ドリフ」の「8時だヨ!全員集合」(TBSテレビ系)が始まりました。
カトちゃんたちと、どちらからともなく「ライバル視されてる同士だし、これからはプライベートではなるべく会わないようにしよう」と、なってしまいました。
「土曜8時戦争」の結果ですが、「世界は笑う」は「全員集合」にコテンパンにやっつけられ、番組は2年で打ち切りになります。
正直、何で視聴率であんなに差をつけられたのか、当時はわかりませんでした。
4年後の74年、僕は胆石の手術で日本医大病院に入院します。
その時、テレビばかり見ていました。そして、どうして「世界は笑う」が「全員集合」に負けたのかわかりました。
チョーさんたちは、1週間、たっぷりと番組の企画を考え、リハーサルを何度も繰り返して本番に臨みます。
一方の僕たちは、番組のプランなんて2~3時間しか考えないでやっていました。
「コント55号」って、いちばんピークの70年には17本のレギュラー番組に出ていました。これでは一つの番組をゆっくりと考えてる余裕なんてありません。(中略)
僕は病院のベッドで、テレビのブラウン管に映っているチョーさんに頭を下げました。
「チョーさん、わかりました。あなたの努力に僕は最敬礼です」
この経験があって、僕は自分で考えた手作りの番組をやりたいと思うようになりました。
萩本欽一が入院したのは、ピンで仕事が忙しくなってからなので、「土曜8時戦争」よりかなり後のことです。
その点で、今回の話と少し時間がずれていますが、まあそれはいいでしょう。
大物同士の不仲は、マスコミでよく言われます。
ひところは、タモリとビートたけしがそうだった。
しかし、現実に彼らは番組で共演している。
桜田淳子と山口百恵も不仲が言われたことがありましたが、やはり山口百恵の著書『蒼い時』で、何をやっても不仲ありきで取り沙汰されるので、お互い距離を置くようになったことが書かれている。
要するに、実際の人間関係と、マスコミが報じる関係は違うのかもしれない。
もちろん、本当に不仲なのを、実はそうでないかのように装っているのかもしれませんが、いずれにしても、同じ業界で頑張ってきた者同士。
外部にはわからない連帯感があるということでしょう。
以上、コント55号の萩本欽一とザ・ドリフターズの、「土曜夜8時戦争」と両者の不仲説真相について萩本欽一が述懐する記事が話題です、でした。
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