田中真紀子前外相長女の記事で『週刊文春』に出版差し止め仮処分騒動です。東京地裁(鬼沢友直裁判官)は2004年3月16日、17日に発売予定の『週刊文春(3月25日号)』の出版を禁止する仮処分命令を出しました。社会的な反響は当然大きくなっています。
異例の販売直前差し止め決定
田中真紀子前外相長女の記事で、東京地裁(鬼沢友直裁判官)は2004年3月16日、17日に発売予定の『週刊文春(3月25日号)』の出版を禁止する仮処分命令を出しました。
『週刊文春(3月25日号)』は、田中真紀子前外相長女の、私生活(離婚)に関する記事が掲載されることで、長女側が「プライバシーを侵害している」との理由で仮処分を申し立てていました。
長女の代理人の森田貴英弁護士は、「公人たる政治家を家族にもつ者であっても、プライバシー権を享受するものであり、仮処分決定はその理にのっとったものだ」と主張しています。
同社は決定を受けた段階で、残っていた約3万部の出荷を止めました。
流通ルートに乗った約74万部については回収しませんが、JR東日本、東海、西日本各社や営団地下鉄の駅売店では17日朝から自主的な撤去を始めています。
それにしても、週刊誌の発売前日に出版禁止の仮処分を命じられるのは異例のことです。
「記事では、人権に十分な配慮をしたが、訴えには誠意をもって話し合いを続けたい。しかしながら、言論の制約を意味する今回の販売差し止めの仮処分決定は、わずか一人の裁判官が短時間のうちに行ったもので、暴挙というほかなく、とうてい承服できない。当局の決定には異議を申し立てる」
文藝春秋の浦谷隆平社長室長は記者会見でそう語り、17日、同地裁に異議を申し立てました。
もっとも、この申し立て自体は「命令」を妨げることはできませんが、現実にはほとんどの書店で同誌を販売。
逆に「命令」が宣伝となって、品切れとなる書店も出たといいます(17日配信の「共同通信」)
話題の外相絡みなら、何でもニュースバリューがあると思って記事にしたのかもしれません。
子どもたちの生き様によって、親としての田中真紀子を知る縁にはなるので、ニュースバリューがないとはいえませんが、長女に対する配慮が議論にはなりえるでしょう。
それでも、販売差し止めをするまでのことかというと、難しいところです。
17日配信の『時事通信』では、浦谷社長室長が、仮処分決定までの田中真紀子前外相の長女側とのやりとりを明かしました。
それによると、14日に長女側から同社に「記事にしないでほしい」とファクスがあり、同日夜に文春側が代理人弁護士に対し、ファクスで「プライバシーの侵害には当たらない」と返答。
翌15日には、長女側から同社社長あての書簡が届き、社長との面談を要望。
同社側が編集権の独立を理由にそれを拒否すると、16日に弁護士から、「長女本人が社長に会いたいと言っている」と電話があったといいます。
長女は、この件で田中真紀子元外相は無関係で、自分は「私人」としていますが、正真正銘の「普通の人」である私だったら、同じことをされても「社長に会う」という発想はありません。
もちろん、「普通の人」が「同じこと」をされることはありえませんが。
同日配信の『共同』によると、週刊誌を発行する出版各社も、この問題で一様に抗議の声明を行っています。
「報道にかかわる問題は、発表後にその適否が訴訟などで争われるべきで、雑誌発売前のこのような行為は暴挙だ。新聞、テレビも含むメディア全体に対する抑圧を狙った判断」(『週刊現代』を発行する講談社)
記事の内容については、「一私人のことで記事にする価値はないと思う」とみる『週刊ポスト』(小学館)の海老原高明編集長も、仮処分については「損害賠償請求で足りることであり、木を見て森を見ない暴挙」と批判。
光文社広報室も「公人か私人か、プライバシーの侵害か否かは公判で争われるべきだ。仮処分命令は、表現の自由を危うくする」としています。
差し止めには普通、担保だけで数千万円必要なため、「私人」の長女に自己負担できるわけがなく、資金援助を含めて背後で操作している者がいるのではないかという懐疑的見方もあります。
ところが、そもそも今回の「仮処分決定書」は担保自体を立てさせなかったようです。
これも変ですね。
「日刊ゲンダイ」(3月18日付)の指摘も興味深い。
「週刊文春は昨年2月に真奈子さん(注:田中議員の長女)の結婚をスクープしているが、“寿報道”の時には何もクレームをつけず、今回の離婚報道について出版差し止めの抗議をするとは奇妙というほかない」
田中真紀子さん、長女さん、どうお答えになりますか。
お馴染みの板倉宏法学博士は、一般読者の理解を助けてくれるような最大公約数的なコメントを発表しています。
「出版前の雑誌を出版禁止にするというのは確かに異例のこと。確かに長女にもプライバシー権はあるわけですが、記事の内容は、聞いた範囲では過去にもよくある程度のもの。裁判所の命令が妥当かという点では疑問が残りますね」(18日付「東京スポーツ」)
法律やマスコミなどの研究者の多くも「差し止め」には批判的
法律やマスコミなどの研究者の多くも、「差し止め」には批判的です。
「出版の事前差し止めは、例外中の例外であるべきだ。『週刊文春』のように政治的、社会的に大きな影響を持っているメディアについて、こうした厳格性、明確性の要件がどのように判断されたかが問題だ」と述べているのは、メディア法の専門家である堀部政男中央大教授(2004年3月18日付『しんぶん赤旗』)
「1人の裁判官による安易な判断があしき前例をつくったと言っていい。メディア側も今回の出版禁止の妥当性を検証すべきです。なのに、新聞・テレビはプライバシーへの配慮なのか、長女の離婚を伏せて報道している。出版禁止の理由を伏せたままでは検証など不可能。メディアがこのていたらくでは、ますます公権力による言論弾圧をはびこらせるだけです」と手厳しいのは、ジャーナリズム論の専門家である服部孝章立教大教授(3月19日付『日刊ゲンダイ』)
あの『石に泳ぐ魚』事件の原告側代理人として「プライバシー」を掲げて闘った梓澤和幸弁護士ですらも、2004年3月19日付「朝日」で「差し止め」に批判的なコメントを出していました。
『石に泳ぐ魚』事件とは、同名の小説について、モデルとされた作者の知人女性が、公表を望まない個人情報を作中に掲載したことがプライバシー侵害にあたり、また名誉毀損や名誉感情の侵害もあるとして、出版差止めおよび損害賠償と謝罪広告を求めて、作者と出版社および発行者等を提訴した事件です。
梓澤和幸弁護士は、こう述べています。
「記事内容はかなりプライベートで、判例を機械的にあてはめると差し止めが認められるケースかも知れない。しかし、政治家の子どもは単純な私人ではない。
政治家を追及する記事の多くは、家族や秘書など周辺から迫っている。その点を含めて考えると、今回の差し止め決定をやや憂慮している。表現の自由はそれほど軽いものではない」
一方、『産経』や『読売』などは、「差し止め」の意味をきちんと報じることなく、「やむなし」の論調を貫いています。
政治的判断のように感じますね。
高裁は東京地裁決定を取り消し
連日、とりあげられたこの事件は、その後、東京高裁が31日、仮処分を妥当とした東京地裁決定を取り消し、長女側の仮処分申請を却下する決定をして命令は効力を失いました。
「記事はプライバシー侵害だが、事前差し止めを認めなければならないほどの回復困難な損害を与えるとまではいえない」(根本真裁判長)
それだけでなく、「憲法で表現の自由は最も尊重されなければならない権利」と言及。
差し止めには、極めて慎重な対応が必要であるとの考えを示しました。
では、長女のプライバシーの侵害についてはどう見ているのか。
「将来の可能性はともかく、現時点では私人にすぎない」と指摘し、「記事は全くの私事を暴露したといえる」として、プライバシー侵害自体は地裁同様に認めました。
ただし、「事前差し止めを認めるには慎重な上にも慎重な対応が要求されるべきだ」とし、今回の記事によるプライバシー侵害の内容や程度に照らし、著しく重大な回復困難な損害の恐れがあるとはいえないと結論付けています。
最初は、「不服を申し立て」を予定していたとされる長女側は、4月3日、不服を申し立てず、記事の削除や損害賠償などを求める訴えを起こしました。
大山鳴動して……、の感もなきにしもあらずですが、報道とプライバシーについて考えさせられた事件であったことは確かです。
以上、田中真紀子前外相長女の記事で東京地裁が『週刊文春』に出版差し止め仮処分騒動。報道とプライバシーの侵害の衝突を考えた、でした。
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Photo by Sam McGhee on Unsplash
週刊文春 平成16年4月8日号 田中真紀子長女出版禁止 政治が司法に介入した「雑誌報道つぶし」全内幕 文藝春秋 2004/4/8 – 文藝春秋
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