藤井貴彦アナの「男性の生きやすさが、女性の生きにくさのもとに成り立ってきたと思う」との「男女平等」論が物議を醸す

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藤井信彦アナの「男性の生きやすさが、女性の生きにくさのもとに成り立ってきたと思う」との「男女平等」論が物議を醸す

藤井貴彦アナの「男性の生きやすさが、女性の生きにくさのもとに成り立ってきたと思う」との「男女平等」論が物議を醸しています。Facebookでは「男性が生きやすい?バカ言うなよ」「問題の矮小化だ」等批判コメントばかりですが、投稿者のハフポストは意に介さず「賞賛」と真逆の評価までして持ち上げています。

藤井貴彦アナの「男女平等」論

藤井貴彦アナの「男女平等」論は、日本テレビ系で毎日帯で放送している『news every.』という番組でのことです。

3月31日に発表された「ジェンダーギャップ指数2021」で日本が世界156カ国中120位だったことを取り上げた上で、データを用いて男女の格差が広がる理由や新型コロナウイルスの影響で格差が広がったことなどを報道しました。

ジェンダーギャップについては、家制度から戦後やっとかわりつつある経緯を無視して欧米と比べるのは乱暴ではないかという気もしますがそれは措くとして、問題の藤井貴彦アナの発言です。

男性の生きやすさが、女性の生きにくさのもとに成り立ってきたと思うんです。そのことに、男性が気付かないといけない。それであの、(男女格差が解消されるまでの予測として)135年かかるんでしたっけ?だから、今から何かを変えてもすぐには定着しないと思うんですよ。私、家では「手を開いている人が家事をやりなさい。男の子女の子関係ない」と言われて(育って)来ました。ご家庭の中から「男性女性関係なくやれる人がやれば良いんだよ」という教育を始めることも大切かもしれないですね。

ハフポストによると、「Twitterでは「よくぞ言ってくれた」「本当にそう。素晴らしい」と賞賛する声が相次いだ。」と報告しています。


しかし、Facebookで確認する限り、手放しの賞賛はひとつもありません。

私の目が悪いのか、読解力がないのかわかりませんが、見当たらなかったですよ。

にもかかわらず、複数回シェアしているので、「ハフポスト、懲りないな」と失笑を禁じえませんでした。

……と書くと、私が封建的な思想の持ち主で、男女平等という話を頭から否定したがっているのだろうと思われがちですが、私はこのブログでこれまでにも書いたように、家制度否定論者です。

戦後、家制度が否定され、新しい民法で家族制度になったにもかかわらず、家制度の残り滓的考え方やふるまいが、未だに時代についてコレない一部国民の生活には残っています。

それを一掃してもらいたいというのが私の考え方です。

ですから、何が気に食わないかと言うと、男女平等が気に食わないのではなく、そのロジックや方法が気に食わないのです。

とにかく、デタラメでも勢いでもいいから、社会の文化を強引に変えちゃえ、変えたもの勝ちだ、というやり方はよくないと思います。

いろいろな考え方の人達と、それぞれの立場の言い分に耳を傾け、事実と道理で納得できる合意点を前向きに模索して、ゆっくり発展の道筋を掃き清める。

そういう民主的な前進が可能な成熟した時代だと思っていたので、昨今の「男女平等」だの「反女性蔑視」だのといった潮流には、正直同じ旗のもとに集まるには抵抗を感じます。

風上が「生きやすい」という意見に批判続出

……とまあ、前置きが長くなりましたが、藤井貴彦アナの発言を突っ込みますね。

そもそも男女格差って、夫が家庭内で家事をやるかどうかということではないでしょう。

昇進差別とか、母性保護とか、そういう問題をクリアにすることですよね。

そこてもう、論点がずれているんです。

しかも、思いっきり突っ込めるのは、「(男女格差が解消されるまでの予測として)135年かかるんでしたっけ?だから、今から何かを変えてもすぐには定着しないと思うんです」という件。

「だったら、私達視聴者も、藤井さんたちも含めて、現代の生存世代は全員、社会を変えることは出来ない」じゃないって、思わず失笑しました。

あんた、変える気あるのかよって。

そんなことにも気づかず「いいね」シてるんですか。

いや、たぶん「賞賛」しているのはハフポストだけでしょう(笑)

もちろん、これだけなら、藤井貴彦さんは悪意があったわけではなく、短時間でまとめるコメントとして、家事という例を出しただけだと庇い立てる意見もあるかもしれません。

もとより、私自身も藤井貴彦さんの個人攻撃をしたいわけではありません。

ただし、発言には、昨今の「男女平等」論に見られる、根本的な疑問点を感じざるを得ないのです。

つまりどういうことかというと、女性は男性の風下に立っていて、男性は気持ちいいだろうが女性は辛いのだ、という構図が前提になっているのです。

ここにはだいぶ批判というより非難が集まっていますが、性的役割分担の弊害を基本的にわかっていないのではないかと思います。

性的役割分担の弊害はコインの裏表であり、女性にとって非合理なことがあるだけでなく、男性もまた同じなのです。

平たく言えば、男性は好き好んで風上に置かれたわけではないのです。

家制度の名残りで、長男というだけで家を継がされたり、祭祀承継させられたりするじゃないですか。

自殺者が、男性の方が圧倒的に多いことも事実ですよね。

離婚しても、子の親権は母親有利なのはおかしいとか、よくネットで言われますよね。

なんでデートで男性がおごるんだ、なんて言われますよね。

いや、これは私の妻が言ってました。女は女であることに都合のいいときだけ甘えていると言っています。

そういうことも含めての、性的役割分担の生きづらさや矛盾と向き合わない限り、問題の本質に迫ったことにはならないのです。

藤井貴彦さんには、そういう発想はなかったと思います。

ないから、女性が生きづらい分だけ男性が生きやすいなどと、トンチンカンなことを言っているのです。

そして、それは藤井貴彦さんだけでなく、昨今の「男女平等」だの「反女性蔑視」だのといった潮流に、大なり小なり感じている点です。

「風上」を悪者にしているうちは、その「平等」論はニセモノだと私は断言します。

藤井貴彦アナはどうすればよかったか

藤井貴彦アナは、男性です。

だったら、男性としての生きづらさを率直に述べ、それが性的役割分担を根本原因としているから女性と手を携えて解消しましょう、という提案をしていただきたかったですね。

女性が、女性の立場から、生きづらさや矛盾を述べるのはもっともです。

しかし、藤井貴彦さんは男性なのに、なんで女性の立場を知ったかぶりして述べるのですか。

それは、たんなる迎合や、「僕って女性のことに理解ある素敵な人」といわんばかりの、自己愛としての意味しかないでしょう。

そんなことしなくていいから、まずは男性として、性的役割分担の解消に向けた前向きな話をしましょう。

現代社会においては、男女平等が確立されているとは言い切れない状況はたしかにあります。

男女平等とは、性別に関係なく、機会や待遇、権利が平等に保障される社会を指します。

それは、男湯も女湯もない、ということではなく、機会を均等化し、偏見をなくすということです。

現実には、女性が男性と同等の機会や待遇を得られない、女性に対する差別や偏見が存在する、女性が政治や経済の場でのリーダーシップに少なく、家事や育児による負担が重いなど、男女間の不平等や格差がまだまだ存在しています。

また、性的な暴力やハラスメント、貧困の問題など、女性が直面する社会問題も多く、これらが社会的な不平等を助長する原因となっています。

したがって、現代社会においても男女平等が完全に達成されていないと言えます。

ですが、近年は女性が活躍する機会が増え、女性の地位向上を目指す取り組みも進んでいるため、徐々に改善されていることも事実です。

ですから、旧態依然とした言い方ではなく、その「改善」をリアルに感じるような物言いが必要です。

つまり、その改善の方向をたしかにするためには、男VS女という見方ではなく、男女がともによくするという見方です。

以上、藤井貴彦アナの「男性の生きやすさが、女性の生きにくさのもとに成り立ってきたと思う」との「男女平等」論が物議を醸す、でした。

河田嗣郎の男女平等思想: 近代日本の婦人問題論とジェンダー - まか, 亀口
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