兵庫島公園(ひょうごじまこうえん、世田谷区玉川)は世田谷の二子玉川駅近くにある多摩川と野川の河川敷を利用した公園です。兵庫県とは思わなくても兵庫と関係あるのかと思われがちですが、多摩川と多摩川に合流する野川の河川敷を利用した公園です。
由良兵庫助を供養した島
なぜ兵庫島と名付けられたかというと、それは大変悲しい由良兵庫助・新左衛門兄弟の最期に由来します。
1358(正平13)年、新田義貞の次男である新田義興が、矢口の渡で江戸荘領主の江戸遠江守の策略によって船が沈められ敵軍にも攻め込まれ、新田義興はもはやこれまでと自害します。
新田義興の無念については、矢口渡地域(現在の東急多摩川線武蔵新田駅界隈)で新田神社で人神として祀っています。
しかし、気強い従者達には川を泳ぎきって敵兵に立ち向かってから自害する兵もいました。
その中で、由良兵庫助・新左衛門の兄弟は、舳先にたって刀を逆手に取り直して互いに自分の首を切り落としたといわれています。
壮絶な死を遂げた由良兵庫助の死体が、多摩川と野川の合流部にあるデルタ地帯の島に流れ着き、地元の村人達は災いを恐れて兵庫助をその島に供養。
これが兵庫島の名の由来であるとされるのです。
現在の兵庫島公園の全容
陸続きになっても「島」と命名
時は流れて、現在の兵庫島です。
東京都と神奈川県の境目になる多摩川には、その両脇に芝生や公園、ゴルフ場やサイクリングコース、釣り場などが造成されたいくつかの河川敷スポットがあります。
売店や遊具などは少ないのですが、むしろ飾り気のない土地と緑の中でひとときを過ごすにはことは、都会の喧噪から離れたいい息抜きになります。
兵庫島公園は、「兵庫」といっても、東京都(世田谷区)の二子玉川にある河川敷です。
地形的には、小金井、三鷹、狛江などを通る野川と多摩川とのデルタ地帯です。
兵庫島公園の由来は、冒頭にご説明したように、 足利方軍勢に攻められ壮絶な闘いの後に果てた由良兵庫助を、村人たちがこっそり供養した島だからといわれています。
その後、兵庫島は長い自然の動きで一部が他の河川敷(二子玉川緑地)と陸続きになり、厳密には「島」ではなくなりました。
しかし、「兵庫『島』」の名称のまま、1988年に同名の公園として完成しました。
兵庫島公園(世田谷区玉川)は多摩川水辺の環境を生かした憩いの場です。
汚染の時代を克服して野鳥の多い公園に
他の河川敷と異なるのは、もともとが島だったためか、河川敷と陸続きでない部分が「兵庫池」(ひょうたん池)という池になっていることです。
そして、通常の河川敷のほか、公園中心部は緑の小高い丘になっており、休日には弁当を広げる家族連れもいます。
公園の西側には人工の小川も作られているので、子どもたちも安心して水遊びができます。
休憩所や芝生などもあり、日光浴やピクニックに適した場所です。
公園の北側を流れる野川を上ると、多摩川の砂利を使用した、礫間接触酸化法(小石層で有機性汚濁物質を分解する浄化法)でつくられた野川浄化施設もあります。
高度経済成長期の1970年代には、多摩川の汚染が問題になりましたが、こうした努力によって現在は、おいかわ(やまべ)、もつご、たもろこ、うぐい(はや)、にごいなどが釣れるまで水質は回復しました。
野鳥は、つばめ、ゆりかもめ、むくどり、たひばり、はくせきれいなどが来るといいます。
兵庫島公園のまとめ
兵庫島公園は、東急田園都市線・東急大井町線二子玉川駅を下車して徒歩5分です。
西口から駅外に出てから、玉川通りをこえて左側の多摩川方向に向かいます。
二子橋の側道を降りた右手から河川敷に降りると兵庫橋があり、渡ると兵庫島公園の敷地内になります。
児童遊具はありませんが、鯉が放流されている兵庫池(ひょうたん池)、兵庫池に流れ込む小川の枯れ流れ、兵庫島と芝生広場の間にある、多摩川随一の歴史がある茶店(玉川屋)など見どころもあります。
何より、池と広い芝生は、親子で十二分に楽しめるスポットです。
多摩川の水辺の環境を活かした歴史を尊ぶ憩いの場といえるでしょう。
以上、兵庫島公園(世田谷区玉川)は多摩川と野川の合流する河川敷にある水辺環境を活かした歴史を尊ぶ憩いの場といえます、でした。
◆兵庫島公園
東京都世田谷区玉川3-2-1
交通;田園都市線・大井町線二子玉川駅徒歩5分/バス二子玉川駅(二子玉川駅?成城学園前駅)
問い合わせ先:03-5432-2296(玉川公園管理事務所)
2009年7月7日14時6分、および14時8分撮影。
出発したのは各駅停車大井町行。8500系(8592)です。
到着したのは6000系の急行です。「試運転」と書かれていますが、到着後は回送になりました。
コメント