京急蒲田(以前は京浜蒲田といいました)といえば、大田区の新しい中心部として再開発が今も進んでいます。3年前には、本線と羽田空港線が高架化しました。『日刊ゲンダイ』(2014年12月19日付)に掲載された「江戸東京町歩き」という連載の「京急蒲田」編によると、その京急蒲田沿線の人には、独自の気質があるといいます。
京急蒲田は、3年前に駅の高架化が完成しました。
一層部(駅事務所、改札)、二層部(1面2線、上り本線と空港線)、三層部(1面2線、下り本線と空港線)という「3階建て(24メートル)」 高架化と、それぞれのホームに切り欠き待避線を作った近代的な駅です。
京急蒲田とともに、大森町、糀谷、雑色といった周辺も高架化され、東京大田区における京急線の踏み切りは、糀谷第3踏切と、穴守稲荷駅の両端にある踏み切りの3つだけになりました。
全線高架化 京急“開かずの踏切”解消
2012年10月21日 東京MX
大田区の京急蒲田駅付近を走る京浜急行本線と空港線の11年にわたる高架化工事が昨夜完了し、周辺の踏切28カ所全てがなくなりました。
昨夜遅く、最終電車が第一京浜(国道15号線)の踏切を通過する際には、最後の電車を一目見ようと多くの鉄道ファンが集まりました。また、終電後には下り線の高架化切り替え工事のほか、踏切の撤去が行われました。そのうちの1つ、六郷土手駅付近では新しい線路とつなげる最後の工事として、70センチのかさ上げが行われました。(以下略)
全国ニュースでも、駅伝で走りやすくなることが紹介されました。
それまでは、踏切でランナーが止まることがあったからです。
ただ、地元の人や、マニアからすると、京急羽田空港線ののんびりした風景がなくなるのは、寂しさもあります。
と同時に、京急羽田空港線は、現在他社乗り入れ線が何本もはしっているもっとも近代的な線になりましたが、以前は京急の最古車輌の最後のご奉公路線でしたので、それもまた時のうつろいを感じざるを得ません。
かつて、「京浜蒲田」駅の近くにあった、フタバ製菓の工場からケーキを焼くようなにおいが、隣にあった私の出身小学校まで届いていたことを思い出します。
味わいある京急蒲田
さて、今回は京急蒲田人の気質の話です。
一口に大田区といっても、北は田園調布から南は羽田まで、それぞれ街の雰囲気は違います。
第2京浜(国道1号線)、第1京浜(国道15号線)、産業道路と、大きな道路がひとつの区切りともいえるかもしれません。
冒頭の記事ですが、著者は世田谷散歩人・和田町夫氏。
京急蒲田人の特徴は、
「そっけない人が多い。でも、本当は人を構うのが好き。話し始めると止まらない」
「青山や表参道などとはある意味、真逆の町。居心地がとてもいい」
「友人の大半は、同級生のお兄ちゃん、妹と結婚して、地元から離れていない」
「車が通っていなければ、基本赤でも渡る」
と書かれています。
いったい何人の人をサンプルにしたのか、統計的に有意か、などという学術的なツッコミはせず、あくまでも著者の主観として率直に受け取るとして、私は40年も前に離れてしまった「元京急蒲田人」ですが、3番目についてはそうだろうかと思うものの、あとは「あたってるかも」なんてニヤニヤしながら読みました。
京急蒲田には、第1京浜国道(国道15号線)を隔てた東口商店街と、現在再開発が進められている西口商店街(あすと)があります。
東口商店街は、高橋らんちゅう養殖園、スーパー銭湯タイプの天神湯などが目立ちます。
電飾鮮やかな山崎こじか園という保育園もあります。
西口あすとは、東日本大震災以来中断したままですが、それまでは毎年10月に「ハロウィン仮装大会」が行われ、かなり遠くから参加者が集まっていました。
京急の駅前商店街は、糀谷や雑色など、普通電車しか止まらないところが有名ですが、京急蒲田はターミナル駅であり、かつ商店街も立派です。
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