大坊本行寺(大田区池上)は、池上三院家のひとつである池上本門寺の子院です。日蓮の臨終場所といわれています。秋から春に咲く桜として有名な御会式桜とともに、生前のつながりを偲ばせる著名人の墓つながり(墓閥)など見どころもあります。
大坊本行寺について
大坊本行寺は、池上本門寺の西側の斜面を降りた所にあります。
理境院・照栄院とともに、池上三院家のひとつといわれる池上本門寺の子院です。
子院というのは、大きな寺の境内の中にある偉いお坊さんの住んでいたところです。
本行寺の境内は、池上崇高という日蓮に帰依した武蔵池上郷(現在の大田区池上)の地頭の邸宅です。
常陸国へ湯治に向かう途中の日蓮が身を寄せ、1282年(弘安5年)10月13日に病没しました。
池上崇高については、『池上崇高夫妻の坐像』(非公開)の説明板があります。
寄木造、彫眼、像高各約二一センチ。
本造の寄進者は丹波屋半兵衛、開眼の導師は身延山久遠寺三十三世日亨で、正徳四年(一七一四)に造られたことが、台座の銘文によってわかる。
よく祖型を残し、後補された様子もなく、小型ながら肖像彫刻として極めて精巧なものである。
体内には墨や金泥で記した曼荼羅本尊等の小紙片が収められているが、筆者は不詳である。
宗仲夫妻は日蓮の大壇越(篤信者)であり、日蓮が夫妻の屋敷で入滅したのは有名である。
昭和五十年三月十九日指定 大田区教育委員会
その後、池上本門寺が建立されましたが、本行寺は「日蓮入滅の霊場」として、池上本門寺子院のなかでも特に格式の高い池上三院家の筆頭となり、大乗坊日澄の名から「大坊」と称されたといいます。
日蓮宗の中では、中本山でしたが、1986年(昭和61年)に本山(由緒寺院)に昇格しました。
池上法縁五本山の1つにも挙げられています。
大坊本行寺については、ネットでも様々な由緒や見どころが記載されていますが、大田区千景としては、御会式桜と“墓閥”についてご紹介しましょう。
大坊本行寺境内
池上三院家の筆頭とされた子院の本堂
大坊本行寺本堂です。立派な作りです。
池上三院家の筆頭とされた本行寺の住職は、籠に乗って江戸城に入城することが許されていたそうです。
東京都指定旧跡のご臨終の間
大坊本行寺ご臨終の間は、池上宗仲公邸の仏間であったお部屋の跡に建てられたお堂です。
東京都は1936年(昭和11年)、『日蓮聖人入滅の旧跡』として東京都指定旧跡としています。
説明板には、こう記載されています。
日蓮聖人(聖人)(1222~1282)は、日蓮宗の開祖であり、「立正安国論」等の著作で知られています。日蓮は、文永11年(1274)に鎌倉を去り、甲斐国身延山に宗教活動の場を移していましたが、弘安5年(1282)、病の悪化により常陸国へ湯治療養に向かう途中、武藏国千束郡池上右衛門大夫宗仲の館(現本行寺境内)で示寂しました。
なお、病中の日蓮が、身延山を発って池上の地に移ったのは、法華経を説いた釈尊が霊鷲山から艮、すなわち北東の方角に当たる純陀の家で入滅した故事にならったとする説もあります。
平成二十四年三月 建設 東京都委員会
日蓮が、亡くなるまでの1ヶ月をここで過ごしたそうです。
日蓮が病没した時開花した御会式桜
大坊本行寺には、秋から春にかけて咲き続ける御会式桜があります。
日蓮が病没した時(御会式=日蓮の命日10月13日)に開花したという言い伝えがあることが、お会式桜という命名の由来です。
ある冬の日に、確かに咲いているのを見たことがあります。
御会式桜といえば京都の妙蓮寺ですが、大坊本行寺は日蓮入滅の霊地ということで観光客もよく見に来ます。
池上には池上梅園があるのですが、桜も見ることができるということです。
溝口健二、花柳章太郎、川口松太郎の“墓閥”
本行寺の墓地には、花柳章太郎(青山家)と溝口健二の墓は隣同士に建てられており、花柳章太郎の墓標に川口松太郎が名を刻んでいます。
溝口健二と川口松太郎は小学校の同級生です。
大坊本行寺界隈のスポット
大坊本行寺、先に述べているように池上本門寺(大田区池上)の子院です。
日蓮宗の大本山には多くの有名人の墓があり、多くの“墓閥”を見ることが出来ます。
池上七福神(大田区池上)は、日蓮宗総本山池上本門寺の子院や、境内外のお堂や曹洞宗寺院など7つの寺院に祀られています。
大田区には3つの地域七福神がありますが、礼所がすべて寺院なのは池上七福神だけです。
池上本門寺の存在の大きさがわかります。
近隣の美味しいお店は、池上本門寺通り商店街にある釜飯のにれの木(大田区池上)があります。
池上本門寺の参拝客、池上梅園の観梅客にとっても馴染みのあるところです。
以上、大坊本行寺(大田区池上)は池上三院家の筆頭とされ有名な御会式桜とともに著名人の墓同士のつながり(墓閥)も感じます、でした。
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