尾上部屋といえば、出羽海一門の三保ヶ関部屋だった元小結・濱ノ嶋が、引退して年寄・尾上になり、夫人の実家のある池上に部屋を構えた、大田区(池上)に設立された初の相撲部屋です。尾上部屋は閑静な住宅街の中にあり、稽古は可視化出来るクリーンな部屋運営です。
出羽海一門は、独立分家について比較的厳しい印象がありますが、三保ヶ関部屋は、元横綱・北の湖が北の湖部屋を開いていましたので、独立による繁栄を求める前向きな考え方なのだと思います。
尾上部屋があるのは、大田区池上8丁目。
最寄り駅は、東急池上線池上駅。
バスなら、東急バスの千鳥二丁目です。
尾上部屋といえば、元大関・把瑠都のいた部屋です。
現在は元幕内、現在は十両の里山浩作が関取として頑張っています。
関取は白い回し、幕下以下は色の付いた木綿の回しと昔から決まっているのですが、尾上部屋は白い回しが現在一人だけ。
ちょっとさびしいですね。
稽古中は窓も玄関も開け放して、事実上の公開稽古です。
尾上親方が日大相撲部の出身であったことから、学生相撲出身者を多数入門させていることでも知られています。
この日も、稽古をする力士の中に丸刈りの姿がありましたが、おそらくは大学の相撲部で、将来の入門含みで稽古に参加しているのかもしれません。
稽古は、他の部屋もそうであるように、まずは取役が大きな号令で何度も四股を踏み、土俵のまわりを腰を落としてすり足で回ります。
関取が合流してぶつかり稽古。これが苦しい。
そして、股割りなど、仕上げの体を動かし、尾上部屋の場合、神棚のとなりに貼ってあるスローガンを読んで終わります。
可視化された稽古場
相撲部屋が大田区にある、というのはいささか意外かもしれません。
大相撲の本場所が年3回行われる両国国技館は、文字通り両国にあり、相撲部屋の多くも実際そこに集中していた時期があります。
しかし、元横綱・輪島のいた花籠部屋と、そこから独立した元大関・初代貴乃花のいた二子山部屋が、阿佐ヶ谷に部屋を構えて以来、必ずしも両国界隈ではなくなったように思います。
もちろん、現在も、春日野部屋、出羽海部屋、時津風部屋など、伝統ある部屋を含めて、墨田区にある部屋は今も多いです。
その中で、元大関・若島津の二所ノ関部屋は千葉県船橋市、元前頭・湊富士の湊部屋は埼玉県川口市、元前頭・三杉磯の峰崎部屋は練馬区田柄、元関脇・琴錦の朝日山部屋は千葉県鎌ケ谷市くぬぎ山、元関脇・栃司の入間川部屋は埼玉県さいたま市中央区八王子、元前頭・大翔山の追手風部屋が埼玉県草加市瀬崎、元関脇・益荒雄の阿武松部屋が千葉県習志野市鷺沼など、遠方の部屋も増えてきました。
土地高騰や後援者の事情などあると思いますが、いずれにしても、大田区池上あることも、不思議ではなくなったということです。
稽古場は、上下に窓があり、夜間電気をつけるとすぐにわかり、住宅街のため、大きな声を出すと響きます。
午前中の稽古時間は、上記のように“公開稽古”で、それ以外も窓で音も筒抜け。
稽古場が可視化されているということは、問題になった「かわいがり」対策になっているのでしょう。
力士たちは、自転車を使って、池上駅前商店街などに出かけています。
尾上部屋ができたのは2006年。
仮屋敷の頃を含めてすでに10年を超え、今やすっかり地域のお相撲さんとして親しまれています。
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