大田区立尾崎士郎記念館(大田区山王)に行きました。1954年に建てられた居宅を再現して2008年5月にオープンしたものです。馬込文士村は、当時の文士たちの説明板や記念館などをいくつか建てていますが、当時を再現した居宅形式は見応えがあります。
尾崎士郎と人生劇場と尾崎士郎記念館
大田区立尾崎士郎記念館とはどこに何があるか
京浜東北線のJR大森駅を西口に出て、馬込文士村の散策コースを徒歩10分進むと、尾崎士郎記念館があります。
馬込文士村を形成するにあたって中心的役割を果たしたといわれる尾﨑士郎。
1954年~1964年の10年間を暮らした“終の棲家”を復元したのが、大田区立尾崎士郎記念館です。
尾﨑士郎記念館は、尾崎士郎の玄関、客間、書斎、書庫、庭などの居宅を一般公開することで、馬込文士村の賑わいや文士の生活の一端を後世に伝えるために、2008年5月に開館したのです。
尾崎士郎と言えば『人生劇場』です。
同作が売れたことで人気作家としてポピュラリティを獲得しました。
尾崎士郎と人生劇場
尾崎士郎は1898(明治31)年、愛知県幡豆郡横須賀村(現吉良町)に生まれました。
早稲田大学(政治科)に入学後、作家となり、宇野千代と結婚するもその後離婚。
1930年に古賀清子と結婚し、大森山王に落ち着きます。
1933年から『人生劇場』の連載を『都新聞』に開始。
1935年に、竹村書房より単行本『人生劇場』を刊行し、川端康成が絶賛すると一躍ベストセラーとなります。
そして1937年、川端康成の『雪国』とともに、『人生劇場』は第3回文芸想話会賞を受賞しました。
馬込文士村の尾崎士郎説明板にはこう記されています。
尾崎士郎は新しい家庭をもち、住まいを移しました。山王・源蔵ケ原周辺で何度か家を変えながらもペンは進むようになり、彼の出世作とも言える『人生劇場』を書きあげます。この小説、もとは新聞の連載ですが、本になっても売行きはサッパリでした。ところが友人の川端康成が『人生劇場』を絶賛したのをきっかけに、たちまち本はベストセラーになり、尾崎士郎の小説家としての地位は不動のものとなりました。
1964年2月29日には、大森山王の自宅で死去前日付で文化功労者として顕彰されています。
大田区立尾崎士郎記念館を見学
門と庭と表札
大田区は北西部に台地が多いですが、尾崎士郎記念館も台地の上にあります。
大きな玄関と、広い庭であることがわかります。
庭には、記念碑もあります。
尾崎士郎の写真とともに、その下には以下のような説明が記載されています。
「人生劇場」文学碑
『人生劇場』は士郎の代表作。最初の作品である青春編は昭和8年(1933)に「都新聞」に連載され、同10年に挿絵を担当した中川一政の斡旋で出版された。川端康成がこれを絶賛すると一躍有名になり、様々なシリーズが刊行された。
して右側には、「人生劇場」と彫った石碑があります。
玄関
玄関は、やはり再現された状態で説明板があります。
壁には、尾崎士郎の写真の額縁が飾ってあります。
残念ながら、上がり込むことはできないため、説明板を読みます。
玄関
この玄関は、大田区立尾崎士郎記念館開設にあたり作られたもの。かつての尾崎士郎は、客間から門の方にかけての部分が、家族が暮らす生活空間となっていた。
とのことで、尾崎士郎と家族の写真も添えられています。
そして、となりには尾崎士郎が使ったという健康下駄が展示されています。
晩年、友人の勧めで合気道を始めた尾崎士郎は、腱を鍛えるための「遊び心」で健康下駄を使うようになったと説明されています。
奥には、双葉山との2ショットも飾られ、茶の間も見えます。
尾崎士郎が気に入っていた水車小屋模型
尾崎士郎が気に入っていた水車小屋模型が、畳の部屋にあります。
山鹿燈籠の名人が作ったとされる紙製の模型だそうです。
山鹿燈籠というのは、和紙と糊だけで作る精巧な芸術品なのです。
机や原稿用紙など
直接部屋に入るのではなく、庭から中を見ることになりますが、書斎も再現されています。
机周りの雑然とした雰囲気や、原稿(複製)、著書、愛用品などを展示しています。
尾崎士郎の代表作は再三書いている『人生劇場』ですが、それだけでなく『石田三成』『篝火』など関ケ原シリーズや、相撲や歴史に関する著書も上梓しており、それらの現行や書籍なども展示されています。
双葉山の写真があったように、大森相撲協会を設立したこともある尾崎士郎は大変な相撲好きでした。
と同時に酒好きでもあり、いくつもの徳利や調度品も展示されています。
こうした展示からは、尾崎士郎や馬込文士村の魅力を再発見することができるでしょう。
大田区立尾崎士郎記念館界隈のスポット
大田区立尾崎士郎記念館は、地理的にも馬込文士村の中核として位置付けられます。
馬込文士村は、大森、および西馬込からなど何通りかの散策コースがあり、作家たちが住んでいた家の跡地にある説明板や、暮らしていた家の記念館などを回ります。
西馬込側には、馬込文士村商店会があり、御菓子司わたなべは、馬込三寸にんじんまんじゅうというご当地名物を販売しています。
馬込文士村は、JR大森駅の西口を降りて、バス通りを超えたところにありますが、超えない手前には、2軒のラーメン店があります。
ひとつは、喜多方ラーメン坂内大森店です。
すでにチェーン店が何店もあるおなじみの建物。たくさんの柔らかいチャーシューや縮れ麺、あっさりスープなど懐かしい昭和のラーメンです。
一方、濃いラーメンでは、東京煮干中華そば三三七大森があります。
動物&魚介を使った濃厚なダブルスープでありながら、下処理をきちんと行い洗練されたマイルドな味わいが好評です。
山王は緑多い閑静な地であり、同地にある尾崎士郎を馬込文士村散策の拠点として、多くの訪問者に利用してもらいたい(大田区文化振興協会)としています。
以上、大田区立尾崎士郎記念館(山王)は1954年に建てられた居宅を再現し2008年5月にオープンした馬込文士村の象徴的施設、でした。
大田区立尾崎士郎記念館
〒143-0023 東京都大田区山王1-36-26
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