フランキー堺といえば、フランキー堺とシティ・スリッカーズというコミックバンドに始まり、『幕末太陽傳』(日活)や東宝の社長シリーズ、喜劇駅前シリーズなど俳優として活躍しました。成田山成心寺(大田区中央)の石塀には今もその名が刻まれています。
フランキー堺のプロフィールについては、改めてご紹介するまでもないでしょう。
フランキー堺(1929年2月13日~1996年6月10日)は、鹿児島県生まれとされていますが、その後東京に転居し、池上で過ごした大田区出身の著名人の一人です。
Google検索画面より
出身小学校は、大田区立池上第二小学校。
地元の人は「イケニ」と呼びます。
そこから、麻布中学・高校に進みますが、同級生には、やはり大田区出身の小沢昭一がいました。
小沢昭一は、女塚(今の西蒲田)にあった小沢写真館の出身です。
ちなみに、女塚は大田区出身の宰相、羽田孜氏の出身地です。
それはさておき、大田区立池上第二小学校とほぼ隣り合わせになっているところに、成田山成心寺という真言宗の寺院があります。
石塀の一画には、今も「上目黒、フランキー堺」と刻まれています。
つまり、寄進したのは、フランキー堺が芸能界入りしてからと思われます。
檀家かどうかはわかりません。
ただ、近くの大田区立池上第二小学校出身だから、成田山成心寺の住職とは顔見知りで、小さい頃、お世話になったお礼として寄進したのかもしれません。
大田区出身の著名人はたくさんいますが、フランキー堺は意外と認識している人が少ないのではないでしょうか。
フランキー堺ゆかりの人
フランキー堺つながりですと、先の小沢昭一以外には、喜劇駅前シリーズで姉弟役などを演じていた淡島千景が、池上尋常小学校(今の池上本門寺に隣接する池上小学校)の出身です。
wikiによれば、蓮沼の出身ということになっていますが、いずれにしても、フランキー堺とは池上つながりだったわけです。
フランキー堺は、松竹で『喜劇○○旅行』シリーズを何本も撮りましたが、シリーズ序盤は伴淳三郎との親子で、後半は森田健作と親子を演じました。
森田健作といえば、現在は千葉県知事ですが、大田区の矢口東小学校、安方中学校であることはすでに明らかになっています。
フランキー堺の映画に脇役でしばしば出演していた立原博は、現在の京急線大森町駅界隈の出身です。
フランキー堺が出演していた、森繁久彌主演の社長シリーズで、フランキー堺降板後に出演した谷啓は、もともとクレージーキャッツに入る前は、フランキー堺とシティ・スリッカーズの一員(トロンボーン)でした。
谷啓は、大田区田園調布の生まれです。
フランキー堺とは、『喜劇駅前茶釜』(1963年、東京映画/東宝)で共演した“ボンドガール”若林映子は、大田区北千束の出身です。
その人たちとは同郷だから共演したわけではないでしょうが、フランキー堺の活躍ぶりがよくわかります。
以上、成田山成心寺(大田区中央)の石塀には寄進者として地元池上第二小学校出身のフランキー堺による名が刻まれています、でした。
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