池上本門寺といえば、大田区を代表する寺院です。毎年秋に行われる御会式は、日蓮宗の信徒でなくても町をあげて一大イベント化します。お正月にはたくさんの人が新年の参拝に訪れ、夏は「500個の風鈴の音を聴く」催しがあり、定期的に朝市が開かれ、初冬には菊花大展示会が開催されます。
池上本門寺(日蓮宗)は、住居表示でいうと東京都大田区池上1丁目。
東京の南端にある大田区のほぼ真ん中に位置しています。
日蓮宗は、身延山久遠寺(山梨)に総本山があり、東京大田区にある池上本門寺(東京都大田区)は宗務を司る大本山だそうです。
2016年11月13日は、典型的な小春日和になりました。
池上本門寺の総門を入ると、此経難持坂(しきょうなんじざか)という階段があります。
ここは地元の学校の運動部がよくランニングに使ってますね。
そこを登り切るとしばらく道が続いて、たどりつくのが仁王門。
どこかでアントニオ猪木をモデルにして作ったと聞いたことがありますが、普通逆ですよね。
9月以降、雨が多いためになかなか天気に恵まれませんでしたが、この日は七五三の衣装で記念撮影する親子連れも訪れていました。
七五三は神社にお参りするものだと思っていました。
まあ、初詣も、結婚式も、神社派もいれば寺院派もいますからね。
そしてこの日は、恒例の菊花大展示会がありました。
五重塔。
力道山の墓。
すでに50回忌も済んだ「ご先祖様」ですが、いまだに訪れる人がいます。
プロレスファンとして気が付きましたが、ジャイアント馬場や芳の里淳三といった名前が消され、三沢光晴だの天龍源一郎だのといった、力道山と関係ない人たちの名前が刻まれています。
これは、百田(田中)敬子さんが、全日本プロレスの役員を辞めてから、別の人達との交流があったことと、プロレスリング・ノアが、全日本プロレスから分裂した時に、百田家もノアについたからと思われます。
が、結局百田光雄はノアを離脱しました。
百田(田中)敬子さんが、日本プロレスを追われて別の「日本プロレス」を作ったときも、ジャイアント馬場、芳の里淳三、大木金太郎らが役員に名を連ね、援助したといいます。
いろいろあったでしょうが、その関係だけは消さずに残しておいていただきたいですね。
池上本門寺の行事と周辺施設
池上本門寺といえば、毎年10月に行われる御会式「万灯練供養」が有名です。
数十万人の参拝者が訪れるといわれています。
当日は、東急池上線も臨時改札口を設けるなど、池上という町全体や公共交通機関が一体となって御会式を支えることになっています。
日蓮の命日が10月13日。
池上本門寺のふもとにある、池上宗仲邸(大坊本行寺)で亡くなったそうです。
その前日が参加者にとってのクライマックスでしょう。
万灯台を先頭に、全国から集ったグループがめいめい纏をふって後に続き一団をなし、東急池上線池上の駅前商店街から、池上本門寺総門まで練り歩く万灯練り行列が行われます。
みんな、この日のために女性もお子さんも練習をしてくるそうです。
例年、その一段の駐車場として近所の公道が使われるのですが、私の実家の前にも、大きなマイクロバスが止まるのです。
大坊本行寺には、10月13日(日蓮の亡くなった日)から4月頃まで咲き続けるとされる御会式桜もあります。
新盆の頃は、風鈴の音を聴く催しが行われます。
私が行ったときは、500個の風鈴が此経難持坂と仁王門の間の道に集中的に下がっていました。
七夕のように、参拝者が短冊にいろいろ書くのです。
周辺施設もおなじみです。
たとえば、池上本門寺の北側に朗峰会館という、結婚式場やレストラン等の入った複合施設があり、会館内に松濤園という庭園があります。
池上本門寺は、五重塔とともに、この松濤園も期間限定(9月頃)の公開です。
庭園の中には、慶応4(1868年)年3月、新政府軍の参謀・西郷隆盛と、徳川軍の勝海舟が、松濤園内の四阿(あずまや)茶室浄庵で江戸城無血開城の話し合いを行った記念の碑なともあります。
また、梅は大田区の花だそうですが、池上本門寺の近くには池上梅園という名所もあります。
小倉誠という方の邸宅が東京都に譲渡され、その後大田区に移管。 78年に梅園として開園され、約8800平方メートルに、園内には30種、370本あまりの紅白の梅の他、ツツジ・サクラ・モモ等の植木が植えてある、と梅園の掲示板には書かれています。
池上本門寺については、今後も何度も書く機会はあると思います。
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